(19日、記す) (伊勢)神宮への参拝はいままでに3回(だったか)。20年に一度の式年遷宮のあった昨年は、6月に知人に誘われて参拝させていただいた。久しぶりの内宮(ないくう)周辺は様変わりしていて、驚かされた。
鳥居をくぐると五十鈴川の清流。宇治橋を渡り終えると違う空気が纏いつく。身体を圧(お)してくるような「何か」があり、厳かなものに包まれるという感じがする。これを霊気神気と言うのか。神苑を歩くと、右手に大正天皇御手植松(たいしょうてんのうおてうえのまつ)。第一鳥居をくぐって五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)まで。五十鈴川の川辺の石畳にてしばし清流にこころを解き放つ。
この日は雨だったが、そこそこに人出はあった。続く10月の式年遷宮。昨年中の参拝者は1420万人とか。御遷宮から8か月経ったいまも大勢の参拝者が詰めかけている(らしい)。
(伊勢)神宮には(個人的には)権威的で少し引いてしまうイメージがあり、若い頃はとくに行きたいとは思わなかった。明治2年に天皇の行幸があってから神宮の性格が一変したという。それまでは江戸時代に始まった「お蔭参り(おかげまいり)」で、庶民が熱狂的に全国(本州・四国・九州)からお参りに押し寄せた。「おかげ横丁」はその時代の雰囲気を再現したものである。
明日は近鉄伊勢市駅で降りて、まず外宮(げくう)から参拝。そのあと「せんぐう館」へ立ち寄り、欣浄寺(ごんじょうじ)の横を通ってもう一度伊勢市駅まで。バスで神宮徴古館、神宮文庫を訪れるつもりだが、こころの赴くままということで、どう歩くかは分からない。神宮会館泊。
下記は参考までに。ネットからたまたま拾ったものだが、私の今回の(伊勢)神宮吟行への想いに被さるものである。
https://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h17/jog377.html
昭和42(1967)年秋、伊勢神宮を訪れたイギリスの文明史家
アーノルド・トインビーは、清らかな五十鈴川の流れに手をひ
たし、そびえ立つ大杉に見とれながら、ゆっくり参道の玉砂利
を踏みしめて、敬虔に拝礼をした。その後、神楽殿の休憩室で
次のように毛筆で記帳した。
Here, in this holy place, I feel the underlying
unity of all religions.
Arnold Toynbee
29 Novemnber, 1967
(この聖地において、私はあらゆる宗教の根底をなす統一
的なるものを感ずる。)
「あらゆる宗教の根底をなす統一的なるもの」とは何だろう。
それに通ずる歌を、平安末期から鎌倉初頭に生きた歌人・西行
が詠んでいる。
なにごとのおはしますかはしらねども
かたじけなさになみだこぼるる
西行は武家の出身だが、出家して仏門に入った。仏教を奉ず
る西行が、伊勢神宮を参拝して「何がいらっしゃるのかは知ら
ないが、有り難さに涙がこぼれる」と言うのである。宗教や教
義を超えた無言の「神聖さ」、「ありがたさ」をトインビーも
西行も感じとったのだろう。
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