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 海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関。(写真:海軍兵学校生徒館=現在の海上自衛隊幹部候補生学校)

 イギリスの王立海軍兵学校、アメリカの合衆国海軍兵学校とともに世界三大士官学校のひとつにも数えられ、全78期から総計1万2433名の卒業生を出している。

 江田島に通った軍人は、同じ釜の飯を食った海軍兵学校の同期(クラスと呼ばれた)を何よりも大切にした。職務を離れれば「貴様と俺」で話が通じる対等の立場であるという不文律があった。クラス同士の会合は準公務として扱われ、また同級生が戦死した場合は残された家族を生き残った同級生が可能な限り面倒を見るという暗黙の了解が存在していた。こうしたことは美風として語られ、戦後に至るまで兵学校出身者の絆は強かった。

 第二次世界大戦中、国内の諸学校で英語教育が敵性語であるという理由で廃止縮小されるなか、井上成美校長の信念で従前通り英語教育が継続され、徹底した教養教育もなされた。このことが礎になって、戦後各界でリーダーとして活躍していた卒業生、元生徒も多い。しかし行き過ぎたエリート意識、貴族趣味、排他性に対する批判もある

 江田島の兵学校跡は、1956年(昭和31年)以降、海上自衛隊の第1術科学校および幹部候補生学校になっており、明治時代の赤煉瓦の校舎や、大講堂、教育参考館などが残されている。

 生徒の採用は時代によって多少の違いがあるが、必要受験資格は受験年齢は16歳から19歳の年齢制限があり、身体条件を満たす者、中学校第四学年修了程度の学力、独身者、犯歴の無い者とされた。銓衡にあたり、最初に身体検査、運動機能検査で学術試験受験者が決定され、学術試験は5日間連続で行われた。学術試験は数学に始まり、英語(和訳)と歴史、物理、化学と国語(漢文も含む)、英語(英作文、文法)と地理の順に行われ、それぞれの学術試験の採点結果は当日に発表され、所定の合格点数に達した者のみが次の学術試験を受験できる篩い落とし選考であった。その後面接試験を経て最終合格者が決定された。志願者の増加と共に内申書による事前選考が行われるようになった。日本海軍の人事政策では兵学校出身者は特別の事情がない限り、大佐まで昇進させる方針を採っており、採用生徒数は海軍の軍備政策と密接な関係にあった。

生徒の教育
 教育期間は戦線の激化に伴い、1941年(昭和16年)入校の73期(2年4ヶ月)へと教育期間が短縮されていった。兵学校においては、最上級生を1号、以下2号、3号、4号と称した

 第二次世界大戦中も英語教育は継続された。陸軍士官学校が英語教育を廃止し入試科目からも外すと、海軍兵学校もこれにならうべきだという声が強くなった。しかし、井上成美校長は、「一体何処の国の海軍に、自国語しか話せないような海軍士官がいるか」、「いやしくも世界を相手にする海軍士官が英語を知らぬで良いということはあり得ない。英語が今日世界の公用語として使われているのは好む好まないに拘らず明らかな事実であり、事実は素直に事実と認めなければならぬ。外国語のひとつも習得しようという意気のない者は、海軍の方から彼らを必要としない。私が校長である限り英語の廃止などということは絶対に認めない」と却下し、英語教育継続に伴っておきた校長排斥運動に関しても、「これらの運動に従事する人物の主張するところ、概ね浅学非才にして島国根性を脱せず」と断じ、兵学校の英語教育は従来通り行った。海軍兵学校内では従来通り外来語の使用も容認している。このことは、戦後、大学に入り直すなどして再出発することになった卒業生達から相当感謝されている。

 海軍兵学校の教えとして有名な「五省(ごせい)」は松下元校長が考案したもので、兵学校の精神を代表するものとして名高い。諸外国の軍人をも感動させたといい、戦後、英訳されてアナポリス海軍兵学校でも採用された。海上自衛隊にも引き継がれている。

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