生死(しょうじ)の中の雪ふりしきる 山頭火
行乞(ぎょうこつ)途中雪の中でたおれかけたときの句、ならば「生死の中の」は「生死の中を」ではないかとはじめ単純な違和感を持った。繰り返し読むとどうやらそういうことではないような。
生死とは、大乗仏教において「悩み」を意味する概念。衆生が生まれては死に、死んでは生まれる苦しみ・迷いの世界、すなわち〈輪廻〉。山頭火が熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度した、禅僧であることを考慮に入れてこの句は鑑賞しないといけない。たんに生まれる死ぬの「生死」に雪が降りしきっているのではない。
生と死とを無限に繰り返す輪廻転生。その中での人生は悩みや苦しみに満ちている。山頭火の苦しみ・迷いを包み、清め、また叱咤するように「ふりしきる」雪。たおれこんだまま埋もれてしまえばそのまま逝くしかない、恐ろしい雪でもある。雪も生死の側にある生命体のように詠んでいるのが「生死の中の」の「の」。やはり「を」ではない。(たむらあきこ)
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