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種田山頭火の俳句(29句)


沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ
労れて戻る夜の角のいつものポストよ
分け入つても分け入つても青い山
鴉啼いてわたしも一人
木の葉散る歩きつめる
ほろほろ酔うて木の葉ふる
どうしやうもないわたしが歩いてゐる
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
秋風の石を拾ふ
笠も漏りだしたか
松はみな枝垂れて南無観世音
うしろすがたのしぐれてゆくか
鉄鉢の中へも霰
うつむいて石ころばかり
父によう似た声が出てくる旅はかなしい
雪へ雪ふるしづけきにをる
わかれてきた道がまつすぐ
あるけばかつこういそげばかつこう
わたしと生まれたことが秋ふかうなるわたし
うどん供へてわたくしもいただきまする
うまれた家はあとかたもないほうたる
春風のどこでも死ねるからだであるく
ひとり山越えてまた山
死ねない手がふる鈴をふる
吹きつめて行きどころがない風
散りしくまへのしづかさで大銀杏
秋風あるいてもあるいても
おちついて死ねさうな草萌ゆる
こしかたゆくすゑ雪あかりする

…‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥……

 放浪と行乞の一生を送った漂泊の俳人の生涯が、なぜこんなにたましいをゆり動かすのか。寂蓼をまとって放浪の旅をつづけた山頭火。山頭火には次のような句もある。

生死(しょうじ)の中の雪ふりしきる     

 行乞の途中雪の中でたおれかけたときの句か。ならば「生死の中の」は「生死の中を」ではないかとはじめ違和感を持った。繰り返し読むとどうやらそういうことではない。

 生死とは、大乗仏教において「悩み」を意味する概念。衆生が生まれては死に、死んでは生まれる苦しみ・迷いの世界、すなわち〈輪廻〉。山頭火が熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度した、禅僧であることを考慮に入れてこの句は鑑賞しないといけない。たんに生まれる死ぬの「生死」に雪が降りしきっているのではない。

 生と死を無限に繰り返す輪廻転生。その中での人生は悩みや苦しみに満ちている。山頭火の苦しみ・迷いを包み、清め、また叱咤するように「ふりしきる」雪。たおれこんだまま埋もれてしまえばそのまま逝くしかない、恐ろしい雪でもある。みずからの、輪廻転生の中の雪ということで詠んでいるのが「生死の中の」の「の」。やはり「を」ではない。

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