川柳の横綱・前田咲二遺句集(平成5年)❼‥《暗夜行路 書いた小さな机だな》
※2月いっぱいで抄出を終えるため、急いでいます。先生は生前一冊の著書も出しておられないのです。十年間、ずっと「(誰も)いつまでも生きていられないんだし。先生も(本を)出さないと」と申し上げてきたのね。その都度「よし、やるぞ~」と返事はよかったのですが。一時は、短歌も俳句も川柳も一緒にして出すと言って...【続きを読む】
阪南1月句会‥《月の下 やっとわたしの過去も澄む》
11時半に自宅マンションまで知香さんが車で迎えにきてくださって、阪南市立尾崎公民館まで。しばらく句の推敲。13時前に2Fまで。愿、みつ江、ふさゑ、ひろ子、俶子、康信、勝彦、保州、しのぶ、彦弘の各氏ほかみなさまとごあいさつ。席題は「下」。
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[阪南1月句会]出席2?名。欠席...【続きを読む】
川柳の横綱・前田咲二遺句集(平成5年)❻‥《犬と目が合う木枯らしの街角で》 平成5年度に入ります
※2月いっぱいで抄出を終えるため、急いでいます。本格川柳、川柳の王道を見る思いで日々抄出しています。改めて学ばせていただいていることを、天国の先生に感謝申し上げたい。
【本格川柳とは何か】
『川柳読本』(岸本水府著 1953年 創元社刊)に、水府は「本格川柳ということ」と題して、下記のように書いて...【続きを読む】
川柳の横綱・前田咲二遺句集(平成4年)❺‥《穏やかに父を奪った海がある》 平成4年分はこれで終わりです
※時間がないので、少々急いでまいります。銀行の支店長をされていたという父上(芋仙(うせん)という俳号をもたれた俳人)が、はやくに亡くなられたとは伺っていましたが。(たしか、先生が10歳のとき42歳で亡くなられたと記憶) 詳細を記したメモがまだ出てこないので、のちに訂正するかも知れません。先生はあまり...【続きを読む】
川柳の横綱・前田咲二遺句集(平成4年)➍‥《ちびた鉛筆を上手に削る父》
※時間がないので、少々急いでまいります。良しあしとは別に採っている句があります。先生のものの考え方が出た句、故郷・新宮のことを詠んだような句。先生は新宮中学から江田島の海軍兵学校へ進まれました。東大・京大とは言わなかった時代で、よくできる生徒は海兵(海軍兵学校)か陸士(陸軍士官学校)へというのがふつ...【続きを読む】
川柳の横綱・前田咲二遺句集(平成4年)❸‥《津軽三味ひびけば雪が湧いてくる》
※時間がないので、少々急いでまいります。先生は昭和元年(大正14年)10月15日生まれ。平成4年の誕生日で66歳になられるのね。入選率は少しずつ高くなり、平均すると5割強というところでしょうか。
『前田咲二遺句集 平成4年』❸
伝記閉じる余韻を壊さないように
大阪弁の毒舌が憎めない
男を誘うような...【続きを読む】
「入選作品集」(第33回 国民文化祭・おおいた2018 湯けむりたなびく温泉地別府 川柳)から
平成30年10月21日(日)。国文祭の当日投句「香り」(田中寿々夢氏選)、《一本のペンからにんげんが香る》で文部科学大臣賞をいただいた。帰りの船のことが気になって授賞式のあとすぐに会場を出たので、選者にもごあいさつできぬままだった。帰宅してから氏にお礼の電話をさせていただいた。
この賞は応募状況...【続きを読む】
【再掲】[蒙御免] 平成13年番傘川柳本社句会番付表 参加者259名中上位40名 行司 物種唯修 作成 上野楽生
先日「東の横綱、西の横綱」という題で19年前の番傘川柳本社句会の番付表を書かせていただいた。そのあと上野楽生氏から14年前の番付表を郵送していただいた。大番傘川柳本社句会の歴史の一コマとして、柳人にとっては興味深く見逃せないもの。お許しを得て、ここに一部を掲載させていただく(数字は年間入選句数)。...【続きを読む】
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