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柏原幻四郎先生にお会いしたことはない。読売新聞の「よみうり時事川柳」欄で選者としてのお名前を一読者として拝見した程度。現会長にお声を掛けていただき、瓦版の会に招かれたのは前会長が引退されてまもなく。従って、瓦版2月号の前会長への弔吟は
きみのこと訊くまぼろしを追うように
とさせていただくよりなかった。2月号の弔吟から5句を下に挙げる。
含羞のサムライだった幻四郎      新家 完司
ペン先は円月殺法幻四郎        武友 六歩
特注の葱抜きうどん食う先生      八木  勲
尖筆と紙を忘れず雲に乗る       了味 茶助
ジャンパーのことブルゾンて言いはった 井上 一筒

ファンが多く「素敵な方だった」との声を聞く。瓦版2月号柳誌に新葉館出版さんから提供していただいた写真は眼光炯々(がんこうけいけい)、魅力的な風貌。一枚の写真が何よりも雄弁。過去の瓦版誌をこれから折につけ開いてみたいと思う。享年82歳、昨年9月11日ご逝去。6年と数か月の闘病生活だった。下記は、名文家として定評のあった先生の「時事川柳」についての一文。
時事川柳 柏原幻四郎
すぐに消えてしまうものだから、という理由で、時事川柳を軽蔑する一部の人たちの声は別に気にしなくともよいが、時事の作家も、息の長い題材に真剣に取り組む必要がありそうだ。
日々のニュースに即応しての作句も、それはそれなりに価値があるが、もっと大きな問題、もっと重要な事柄が幾つもある。例えば、平和の問題、核、軍縮、日本の防衛のこと、自民の長期政権、国鉄、健保、教育問題、青少年の非行、老人問題、物価、等々、国民生活に密着した基本的な題材がいくらでもある。
今、例にあげたものだけでも、来月の句会、来々月の句会、半年後の句会、一年後の句会、三年後の句会、の材料に事欠かぬ。よく句会の日に「今月は材料が無いので、句が作れない」とこぼしておられるのを耳にするが、これだけ大きな材料があれば、10句くらいの出句に困ることはなかろう。極端だが、核のことだけを生涯詠む作家がいてもよい。
そうあるべきだ、と言うのではない。線香花火のように短い寿命に終ろうと、その時、たとえ一瞬であろうと素晴らしい光彩を放つ句もまた捨てがたい。
その時々の事件にも敏感に反応する神経を研ぎ澄ましつつ、生涯をかけてもなお足らぬ大きなテーマにも、じっくりと取り組んでいきたい。
時事川柳の道、果てしなく遠い。

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前会長、故柏原幻四郎先生のこと”にコメントをどうぞ

  1. 井丸昌紀 on 2014年2月10日 at 9:00 PM :

     瓦版の句会へは、2004年12月から参加させて頂いておりました。
     当時は、森ノ宮の何とかホール(?)が句会場で、1階にうどんの杵屋があり、句会前の腹ごしらえやガソリン補給に利用させてもらっていました(あまり関係ありませんが)。
     当時と今との違いは、最後の2句+互選句1句のかわり、幻四郎会長への3句連記でした。この披講時の緊張感は、しょんべんがちびるほどでした(品がなくてすんません)。どの人も最低限1句、2句の人、ラッキーな人は3句抜いてもらえます。私も2回、3句抜いてもらい感動したのを覚えています。
     幻四郎さんは、二次会に参加されることは滅多になかったんですが、参加されたときは大喝采。人格者だったんだと思います。

    • あきこ on 2014年2月11日 at 12:56 AM :

      井丸昌紀さま
      森ノ宮へは私も通ったのよね(一年未満だったかな)。
      うちの先生が会長を引き継いだときはまだ前会長のときと同じようになさっていた。そのあと、いくつかを改革(?)して現在のようなかたちになりました。
      すでに編集部にいたので、その経緯は知っています。
      幻四郎先生のことを、折があれば教えて下さい(寡黙の人、という印象ですね)。川柳家らしい川柳家だったのかなと思います。句集を出しておられないのが残念。(野菜!、ナンノコッチャ)

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