「(よい)選者がいない」という嘆きの言葉を周囲の川柳家から伺うようになって久しい。どの選者が悪いということは、内々の囁きにとどめられることが多い。公に名指しをして言えることではない。
句会でいつも上位に抜ける方が拙い選をすることは(比較的)少ないように思う。よい句を詠まれる方はよい句を知っておられるわけである。
尼崎川柳大会が迫ってきた。着てゆくものなどに凝るほうではないので、選者だからといって当日の服装などはまだ考えてもいない。考えるのは風邪を引かないことなど、体調を万全に整えること。僅か1時間ほどで少なくとも200句を超える句と対峙、取捨の判断をしていくわけであるから、まずは体調ということになる。
1回毎に選者としての評価が当然かかってくる。
大会の発表誌が送られてきたら、ブログに全入選句(たむらあきこ選)をアップ させていただく。全国の方々に、それを見て選の内容の良しあしを判断していただくことができると思う。
僅か1時間ほどだが、作句推敲に倍する厳しい闘いである。とくに秀句を間違えるわけにはいかない。秀句1句については、のちにブログに簡単な句評を書かせていただく。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
Loading...
















































「良い選者とは、自分の川柳作品を抜いてくれた人」
「悪い縁者とは、自分の川柳作品を抜かなかった人」
このブログの四行に書き示されているように、「これで決まり!」
次の三行は間違っていないが、少し違うのではないかナ。どんな世界でも100%の支持を得た人はいないのです。(長嶋や王しかり、美空ひばりしかり、リンカーンしかり)。確かに数多くの秀句が埋没したかも知れませんが、しかし川柳の派が数多ある以上、選者論は解決のしようがないのです。(改善のない句の大会を止めないかぎり・・・)
本当の素晴らしい選者は、その方の死後に決まるものだろう。
次のような格言があります。
『釣鐘は、聞き手のいかんによって、異なった音色を出す』
━━━☆=⊃―(^-^ )ウイィィィィ 吸収♪
りょーみさすけさま
ここは見解の相違。
自分の句を抜いてくれたからといってその選者に甘くなど(決して)なりません。極端に言えば秀句に採っていただいたところで嬉しくはない。
没になっても、よい選者ならこちらが反省する。(それがあきこ)
選がよくない、と言う限りは、理由を言えないといけない。選結果を見て、それがきちんと言えないなら批判は慎むべきでしょう。
ここ(だけ)は、譲れません。(ここだけ頑固なあきこ、ほかはいい加減)
『釣鐘は、聞き手のいかんによって、異なった音色を出す』
これは名言。その通り。
見解ということでなく、私が言っているのは、一般論です。川柳を愛好する多くの人は、川柳は趣味で、自己満足でやっている人がほとんどだと思いますよ。だから、川柳を、又、川柳の大会を色分けしない限り、(姉さんが目指している川柳の世界)変遷はしても川柳は変われないでしょう。
(;-_-)σ
りょーみさすけさま
みなさん、熱いですよ~。
近くは9月28日の「カード」の大会。川柳の革新を目指しているので、軽い「趣味」で来ているとは参加者の誰もが考えていないでしょう。川柳公論表彰句会しかり、柳都全国大会しかり。各地の川柳大会も結構熱い。(レベルの差はあっても)
「趣味」「自己満足でやっている」などとは実のところ考えていないと思います。(口では照れ隠しに言っても)
川柳を川柳人みずから貶めないようにしなければ。このフィールドは無限の可能性を秘めているのですから。(今日もせっせとガンバる猫)