❶安養寺跡
伊勢二見浦にあった安養寺は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて存在していた寺院。この寺は発掘調査により確認されており、西行(1118年~1190年)が晩年の6年間(1180年~1186年)近く住んでいた場所とされている。西行は、この山寺で和歌を通じて伊勢神宮の神官や荒木田満良と交流し、その足跡を残した。
西行は、裕福な武士の家に生まれ23歳の若さで出家。歌を詠みながら全国を行脚、各地に歌を残す。「新古今和歌集」には最多の94首が紹介されている。「何ごとの おはしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼれて」または「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と詠んだ歌は西行が伊勢神宮に参拝した時のものと言われている。
安養寺は創建者や創建時期は不明。西行が奥州に向かった直後、鴨長明が「西行法師住み侍りける安養山といふ所」で一首の歌を残していることから、西行が住んでいた山寺とはこの安養寺のことを示していることがわかる。西行の没後まもなく廃寺となった。
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交通
往:近鉄五十鈴川駅前発おかげバス(コミュニティバス)二見線乗車、溝口下車。徒歩5分。
発車時刻:9:00 12:30 15:00 17:50
復:発車時刻:13:53↝近鉄五十鈴川駅前着:14:17?
❷西行谷神照寺跡
平安時代末頃の歌人西行は、仏道修行とともに歌を詠み諸国を遍歴していたが、晩年になって伊勢に移住したと言われる。この伊勢での西行の住まいをめぐる推定地あるいは伝承地が「西行谷」で、大きく分けて2ケ所の説がある。一つは「二見の西行谷」であり、明治41年(1908)に記念碑も建てられた。そして、平成4年(1992)には付近の安養寺跡が発掘調査され、西行庵の可能性が考えられる遺構や遺物が発見された(『三重県埋蔵文化財センター年報』4)。
もう一つの説が「宇治の西行谷」と言われる。「宇治橋より約六町、菩提山続きの麓」(『三重県案内』)、現在の伊勢志摩スカイラインの料金徴収所から少し登った所にあって、明治期には茅葺きの庵が建てられていた。この西行谷については、室町時代の連歌師宗長も訪れており、その頃から二見よりも有名になったらしく、江戸時代に発行された『伊勢参宮名所図会』でも、双方の西行谷について触れているものの、宇治は図が描かれ、二見は数行の文章だけである。さらに、『三重県案内』は宇治のみで、二見の西行谷は記述がなくなっている。やはり当時は宇治の西行谷説が優位だったようである。しかし、最近では考古学的な発見や研究者の中には資料的に宇治の西行谷を証拠づけるのは難しいと指摘する人もあり(『三重の西行法師遺跡考』)、さらに詳細な調査研究が期待される。
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交通
神宮会館前下車。赤福本店横の橋を渡って、徒歩20分?
西行谷神照寺跡
スカイラインをくぐるとその先右手の駐車場の脇を道なりに進む。すると右上には伊勢志摩スカイライン伊勢料金所が見える。左手は、臨時駐車場(グリーントピア)になっている。谷筋を探しながら進むと奥まった場所に案内板らしいものが見える。西行谷神照寺跡の説明板。
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