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 「幸福」に一義的に何か定義を付けることはむずかしい。人間も生きものであるから、まず生きものとして生存にかかわる面と、人間としてよりよく生きていく面の両面で考えなければならない。

 幸福な生き方とは、人生をよりよいものに高めてゆく主体的かつ創造的な活動を含んでいる。自分を活かして生きること、それに尽きるのだ。生き甲斐ということも深く関わってくる。

 生き甲斐とは生きる甲斐、すなわち生きることの喜びや張り合い。老年期は、喪失の期間とされる。しかし現実には、多くは自己否定感に苛まれることもなく老いを受容して生きている。生き甲斐を見つけることで、認知機能など健康状態もよくなるという。幸福というのは、まず生き甲斐があるということだろう。

 中国の故事や格言に幸福を主題としたものがある。例えば「人間万事塞翁が馬(にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま)」。下記はあらすじ。
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ある塞(城塞)のほとりに、老人とその息子とが暮らしていた。ある日、彼ら親子の馬が突然逃げ出してしまったため、周囲の人々は馬を失った親子を気の毒がったが、当の老人は「不幸かどうかは果たして分からんよ」と、意にも介さない。間も無く、逃げ出した馬は立派な馬を連れて戻ってきた。不幸が転じて幸運となったために周囲の人々は親子の幸福を感心したが、老人はやはり意に介さない。間も無く、息子がこの馬から落ち脚が不自由となってしまったため周囲は同情したが、それでも老人は意に介さない。その後、戦争が始まって村の若者は皆兵に徴収され、ほとんどが戦死してしまったが、息子は脚が不自由であるため村に残った。こうして、老人と息子は共に生き長らえ暮らした。
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 「人間万事塞翁が馬」には、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」(人の幸・不幸は縒(よ)って作った縄の目のように交互に訪れるため、片方ばかりは続かない)など、類似の故事、慣用句なども多い。人間がながく「幸福とは何か」について考え続けてきたという証左だろう。

 じつは、あきこが幸福でいられる理由というのも、「人間万事塞翁が馬」をいつも頭の隅に置いているから。最近の不幸といえば地元の●●銀行で投資信託を押し売りされ、かつ暴落で損害を受けたことだが、消費者生活センターの助言通り金融庁に電話、事情を問われるままに話したことで(やや)気持ちが収まった。これから、この経験をどう活かすかということがたいせつ。(金融庁は対処してくれるようです。)

 川柳をしていてよかったことは、この発想の転換によっていま直面している酷い状況に追い詰められない、自身が救われるということ。「人間万事塞翁が馬」の老人も発想の転換ができる人だったのである。●●銀行のことも、私的なこととして諦めてしまえば「お金をドブに捨てた」だけのことになるが、みなさまに知っていただくことで更なる被害を(僅かでも)阻止できる。転んでもただは起きぬ、これもまた禍を福に変える「人間万事塞翁が馬」(ちょっと違う?)だと思うのね。

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