短歌を初めて詠んだのは、もう49年も前のことになる。読売新聞の地方版の短歌欄に投稿、掲載された。短歌を始めたきっかけは亡母が歌人だったことが大きい。毎月家に届く関係の歌誌には必ず目を通していた。下記は、中学生の頃、父母姉妹と旅行した
ときの一首。
葉桜となりつつ花の残れるが玻璃(はり)越しに見ゆ旅の朝明け
その頃の短歌欄の切り抜きなどもどこかに行ってしまった。いまは川柳だけを詠んでいるが、短歌への思いが消えてしまったわけではない。両方に取り組むには、時間的な限界がある。短歌に心を残しながらも、やはり川柳を詠んでゆくのがこれからの私の道だろう。
いまもっとも関心のある歌人は、2010年8月に亡くなられた河野裕子(かわの・ゆうこ)さん。享年64歳。下記は最晩年の数首。夫の歌人永田和宏さんとの相聞歌のかたちをとっている。これらの短歌を挙げるのは、息を吸うように日常を感じ、息を吐くように詠む、河野さんのように私も川柳を詠もうと思うからである。
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子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終る日にたちかへりこむ(河野裕子)
これからの日々をなつかしく生きゆかむ去年せしやうにコスモスを蒔く(河野裕子)
日に透きて今年も咲ける立葵わたしはわたしを憶えておかむ(河野裕子)
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る(永田和宏)
長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ(河野裕子)
夫・永田和宏さんが書き留めた河野さんの最後の歌
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が(河野裕子)
わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ(永田和宏)
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2013年の皇室歌会のお題は「立つ」。ここで秀句に選ばれた高校三年生(18歳)の少年が詠んだ句があります。
“実は僕家でカエルを飼っている 夕立来るも鳴かないカエル”
その後の天皇陛下と少年の問答が良い。
陛下が、「なんで鳴かないんでしょうね」 と言われた。
少年は、「わかりません」 と答えた。
☆ 何となく深い意味を感じとることが出来ませんか?!
りょーみさすけさま
たとえば君
ガサッと落ち葉すくうように
私をさらって行ってはくれぬか
分かち書きしましたが、この短歌も河野裕子さん。「実は僕」と、少しもっていき方(?)が似ていますね。短歌も川柳も、このように自由に思いを詠む方向へと進んでゆくと思います。
そういえば河野裕子さんの短歌、破調ばかりですよね~。高校生の短歌は、「鳴かない(カエル)」がいいですね。何かを、暗示していますね。
お久しぶりです。お元気でなによりです。私も永田・河野さんの短歌が好きです。つい最近も喜八郎さんに「このごろ河野さん河野さんと言わなくなったな」と言われそうだと気づきました。オノマトペが独特で日常の生活感溢れる歌に魅せられます。葦舟や母系は素晴らしい。それにしてもあきこさんの若き日の歌はすがすがしい風をかんじます。前に大木俊秀氏が講演で「ある時は川柳を短歌に、短歌を川柳に。またある時は俳句を川柳に、川柳を俳句に・・・」とご自分の試行錯誤を語っておられました。絵にも鉛筆が日本画水彩画があるように。
時間が足りない力が足りないこのわたしの。・・・
啓子+さま
お久しぶり。河野裕子さんの短歌を読んでいると、この才能を容れる器があるのだろうかと。これからというときに夭折(あえて)、残念ですね~。歌人には長生きのかたが多いのに。神様は、天才を連れて行っちゃうんですかね~。
さて、啓子さんの今年のご活躍にも注目しています。川柳のみならず、草原誌の表紙を飾る画にも注目。いつも見ていますよぉ~(笑)。
初めまして、歌会始私も拝見。
高校三年生(18歳)の少年ではなく、12歳(中1)の少年です。
ごめんなさいね、りょーみさすけさま。
みどりさま
ご指摘、ありがとうございました。(りょーみさすけさんになりかわり)
12歳ですか。よい歌ですね。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
みどりさんへ。私の勘違い。間違ったまま人に話すのも大恥です。ご指摘ありがとうございます。m(._.)mアリガト
しかし、12歳達者ですね。何をして、私は、ここまで生きて来たのだろうか・・。完敗です。 ウルルル ( TT(;^_^)セナカカシテネ