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 詩は、簡潔かつ隠喩が使われたり、ことばへの格別な注意がみられるなどの理由から詩と見なされるのね。ときどき当ブログにあげている、小堀邦夫氏の散文詩。散文詩は散文と詩の両方の性質を兼ね備える異種交配的なジャンルなのね。かつてエッセイを書いていたあきこが、いま関心をもっているのはこのかたち。いずれ時間があるときに川柳的な穿ちの要素をふくんだ散文詩に挑戦してみたい。

 『新体詩抄』(明治15年)に始まる明治時代の新体詩は、文語と七五調によって西洋詩を再現しようと試みたものなのね。しかし、明治期のうちに言文一致運動により否定された。文語を用いるか否かで文語詩と口語詩、七五調など音数律を用いるか否かで定型詩と自由詩とに区別されるのね。明治以降の従来の和歌や俳句などではない西洋式の詩を近代詩、戦後のそれを現代詩と呼ぶのね。短歌や俳句では、音数律に従わないものは自由詩ではなく、自由律と呼ばれる。 

 短歌は、「5-7-5 7-7」に構成された5つの部分から成る31の「音字」でつくられる押韻しない詩型。前半の「5-7-5」(上の句)と後半の「7-7」(下の句)の間で調子や題材に転換があるのがふつうなのね。短歌は、奈良時代に個人的な主題を探求するのに用いられるようになり、形式張らない詩語を有したのね。連歌は、多人数による短歌の連作。短歌形式で風刺や皮肉などを盛り込んだ狂歌といわれるものもあるのね。

 俳句は、17世紀に俳諧における連句の最初の句である発句から発展して形成された、押韻しない詩型なのね。「5-7-5」に構成された3つの部分から成る17音字でつくられ、縦1行に書かれるのがふつう。伝統的に、俳句は、通常は3つの部分のいずれかの末尾に切れ字が置かれ、また季語と呼ばれる季節のことばを1つ含むのね。

 五七五形式で、季語や切れ字の規則もなく、一般により庶民的な内容を扱う(とされる)ものが川柳と呼ばれるのね。一行詩である川柳は風刺の媒体になる。韻文で放たれた一矢は散文よりも強く、記憶に残りやすいものになるのね。歴史的には、平安時代より狂歌が詠まれ、匿名で掲示して政治批判などを行う落首の慣行があったのね。現代では、時事川柳などに風刺的に政治などが詠まれている。

 尾藤三柳師は、かつてあきこに「あなたは時事川柳を詠んでいる? 時事川柳を詠まないとだめだよ」とおっしゃった。「残るのは時事川柳だけ。ほかの川柳は(柳誌も含め)みな捨てられてしまう」とも。そのことばをあえて信じずに詠み続けているわけだが。川柳はどこへ行くのだろうか。あきこが自分の仕事をすべて電子書籍として残している理由の一端もそこにあるのね。いつか、川柳でこういう仕事を遺した柳人がいたとふり返られる日もくるだろうか。『たむらあきこ川柳吟行千句』、もうすぐ。



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