鶴彬(つる あきら、1909-1938)は、プロレタリア文学の影響を受けた反戦川柳作家。石川県生まれで、本名は喜多一二(きた かつじ)。父は竹細工職人だったとか。(叔父さんの養子になったのね。)
小学校在籍中から新聞に短歌・俳句を投稿していたが、1925年から川柳誌『影像』 にデビュー、それを契機にいろいろな川柳誌に作品を寄せるようになったのね。1927年には井上剣花坊の家に寄ったり、川柳の評論「僕らはなにをなすべきや」を『川柳人』に発表するなど、社会意識に目ざめ始めたというのね。
次第に反戦意識を高めていった鶴は思想犯とみなされ、1937年12月治安維持法違反の嫌疑で特別高等警察に検挙され、東京都中野区野方署に留置された。度重なる拷問や留置場での赤痢によって、1938年9月14日に世を去ったのね。官憲による赤痢菌注射説が噂されたという。
「暁を抱いて闇にゐる蕾(つぼみ)」「手と足をもいだ丸太にしてかへし」など数多くの反戦川柳を詠んだ。「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」「高粱(こうりゃん)の実りへ戦車と靴の鋲(びょう)」「屍(しかばね)のゐないニュース映画で勇ましい」などの作品を発表。出身地の高松町には「枯れ芝よ!団結をして春を待つ」の句碑が建っており、「鶴彬を顕彰する会」もつくられている。
「胎内の動き知るころ骨がつき」という句があるが、胎動があるのに、胎児の父親は戦死してその遺骨が届くという句意なのね。警察は彬が謝れば出すのに、こころざしを曲げなかったのね。最後まで反戦の筋を通し死んでいった。享年29。
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