Loading...Loading...

 篠田桃紅(しのだ・とうこう)さんが3月1日に亡くなられたらしい。水墨による抽象表現で国際的に活躍されたのね。老衰で、107歳の大往生。独身で、書家(美術家)としての生涯を全うされた。その凛としたたたずまいに惹きつけられるものがあった。あらためて、その生涯を追ってみた。 

 伝統的な書で出発したが、戦後に水墨の抽象絵画へ移行されたのね。1956年に渡米、抽象表現主義が席巻するニューヨークで墨などによる独特の抽象作品が注目された。欧米各地で個展を開催、58年に帰国すると一躍、前衛書家の名声を確立された。100歳を超えても意欲的に制作を続けておられたのね。下記は、ご参考まで。
…‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥……

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から、一部。 
1913年 – 3月28日、日本の租借地だった関東州大連に生まれる[2]。5歳頃から父にの手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しいの造形を試み、その作品は水墨抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後は日本で制作し各国で作品を発表している。

和紙に、金箔銀箔金泥・銀泥朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けている。

海外では昭和30年代から美術家としての評価が高かったものの日本では海外ほどの評価を得ることができないままであったが、2000年代に入り新潟県新潟市岐阜県関市に篠田の名を冠するギャラリーが相次いで開館した。

2014年5月、沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた[3]2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる[4]

2021年3月1日、老衰のため東京都青梅市の病院で死去[5][6]。107歳没。
…‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥……
 著書が20冊あるようだが、その題名が参考になった。生涯を独身で貫き通した美術家としての生き方に、いまなら共鳴する女性も多いことだろう。豊かに自分の時間を生ききった、自由でうらやましい一生だったと思う。下記は、20冊の題名。ご参考まで。

『新しい書道十二ケ月 抒情詩の解説を添えて』
『いろは四十八文字』
『墨いろ』
『朱泥抄』
『その日の墨』
『おもいのほかの』
『一字ひとこと』
『墨を読む 一字ひとこと』
『きのうのゆくへ』
『桃紅 私というひとり』
『桃紅えほん』
『桃紅百年』
『百歳の力』
『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』
『一〇三歳、ひとりで生きる作法 老いたら老いたで、まんざらでもない』
『人生は一本の線』
『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』
『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』
『これでおしまい』
『日本の名随筆 27 墨』

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

気軽にポチっと
どうぞ(無記名)

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K