「詠う」とは、詩歌をつくる。また、詩歌に節をつけて朗読する。詠うことのすべてはまず観察からはじまるだろう。観察したことを自分のことばで書き表してみる。川柳を詠むことは自己を探ること。句にすることで見えてくるものがある。句は、何かを報告するものではない。詠むことは自己を見つめることにつながるのだ。その際、すべてを言ってしまわないことがたいせつ。
よく観察して、デッサンするようにそれを書きとめる。そういう訓練をしていると、ものごとをいくつもの角度から捉えることができるようになる。おなじお題を詠んだとしても、よくある角度か新しい切り口かということが作品の価値を左右するのである。テーマが大きいとき、あるいは一つのお題をさまざまな角度から詠むときには連作という方法がある。川柳には十七音という音数上の制約があるため、内容をどう切り取るかにはつねに苦心が要る。
詠む前に多くの句に触れることは、感性をみがくうえでたいせつなことである。いくつもの表現方法がある中で、自分が川柳という形式を選択した理由を考えてみる。そのことにより、川柳のもつ特徴や魅力を再認識できるのではないかと思う。
文章を書くときの書きことばを文語といったのに対し、日常話すときに用いることばを口語という。短歌や俳句は文語によって表現されてきたものだが、いまは話しことばである口語を取り入れた短歌や俳句も増えている。もちろん川柳は口語で詠むのが基本。口語で詠むとやわらかく親しみやすいが、文語で詠むとかたくかしこまった印象になる。
また、たとえば文語の助動詞の「つ」「ぬ」「たり」「り」「き」「けり」などが、口語ではすべて「た」で表現される。文語で表現できた微妙な違いが、口語では表現できないということである。そのことが口語で詠む川柳のむずかしさでもある。
漢字表記が多すぎると窮屈になる。平仮名表記が多いと間延びしたように感じるかたもおられるだろうが、あきこの川柳もどちらかというと平仮名を多用している。表記のしかたひとつでまったく違った印象になるのだから、このことはよく考えないといけない。リズムについてあれこれ推敲し、考え抜いた結果がそうなっているのである。
川柳でも何でも、表現が心情をよく表しているかどうかを考え、ことばの斡旋を考える。ことばの順序を入れ替えることなどで、心情がつよく読者に伝わるようにすることがたいせつ。そのためには詠みっぱなしにせず、なんども見直し推敲してみることが肝心。推敲するときのポイントとしては、リズムや表記とともに文法的な誤りはないか確認が必要。自分の言いたいことを適切に表現できているか、客観的に見直す。推敲に終わりはない。鶯の声が練習を積んでいるように、詠うことにも訓練がいるのである。
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