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 『草木塔 (そうもくとう) 』は種田山頭火晩年の自選の一代句集。昭和15年(1940)4月28日、東京の八雲書林より刊行。第一句集から第七句集(『鉢の子』『草木塔』『山行水行』『雑草風景』『柿の葉』『孤寒』『鴉』)までを集成した。自由律俳句。
 句集「鉢の子」では前書に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり-修証義-」を置く。出家して耕畝と改めた山頭火が、大正14年の早春から味取観音堂の堂守となり、いよいよ行乞放浪へと旅立つのは翌年4月。
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥
  生死
(しょうじ)の中の雪ふりしきる     山頭火

 生と死を無限に繰り返す輪廻転生。その中での人生は悩みや苦しみに満ちている。
 行乞(ぎょうこつ)の途中雪の中でたおれかけたときの句、ならば「生死の中」は「生死の中」ではないかと一瞬違和感を持った。繰り返し読むとどうやらそういうことではないような。
 生死とは、大乗仏教において「悩み」を意味する概念。衆生が生まれては死に、死んでは生まれる苦しみ・迷いの世界のこと。山頭火が、44歳で熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度した禅僧であることを考慮に入れてこの句は鑑賞しないといけないのではないか。
 (生きるか死ぬかの自分の)生死(※せいし)の世界に雪が降りしきるのではない。地上に降っては消える雪、この句は雪も雪の「生死の中の」雪であるといっているのではないか。山頭火の迷いを包み清める雪ではなく、迷いの雪であると。助詞ひとつへの疑問から繰り返しあじわううちにそういう解釈が芽生えてきた。(たむらあきこ)

続きはあとで(もう一度よく考えてみます)
↑上の鑑賞文、やはりちょっと無理がありますよね(笑)。
「生死」はやはり作者・山頭火の「生死」すなわち苦しみ・迷い。明日もう一度鑑賞文を書き直します。(せっかく書いたので、あまりご賛意は得られないとは思いますが、ご参考までに残しておきます)

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どう読む‥《生死の中の雪ふりしきる》(山頭火)”にコメントをどうぞ

  1. 前川奬 on 2018年2月20日 at 8:36 PM :

    たむらあきこ様
    鑑賞能力の乏しいわたくしは「なるほど」と「ひとつ賢くなりました」
    しか、言えません。
    独学で川柳のイロハを覚え始めた頃に「井月句集・復本一郎編」岩波
    文庫を買って読んだことあります。先ほど、この種田山頭火という俳人
    は井月の影響を受けた人だということを知りました。

    • たむら あきこ on 2018年2月20日 at 8:49 PM :

      前川奬さま
      まだ鑑賞中ですので、明日あたりもう一度ご覧になってください(時間を置くとどんどん内容が変わるかも)。
      この句は、よく読めばむずかしいですね~。(+_+?)
      ちょっと手こずっています(笑)。
      鑑賞も、最後までたたかいますので、よい解釈があれば教えていただけたらありがたいです。
      どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m

      >井月の影響を受けた人
      また調べてみることにします。
      23日の松山では、山頭火吟行みたいなものですから。
      しっかり資料を読破しないと、と思っています。

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