6日。帰宅すると柳友月波与生(つきなみ・よじょう)氏から封書。柳誌「せんりゅう紫波」1月号に掲載の、『たむらあきこ千句』への氏の書評(コピー)を送っていただいた。同日瓦版句会にて手渡していただいた柳誌「天守閣」3月号には、柳友真鍋心平太(まなべ・しんぺいた)氏の「句集【たむらあきこ千句】を読んで」と題した書評。お二人ともありがとうございました。m()m 以下両方を転載させていただきます。(たむらあきこ)
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与生の「川柳ってなんだ」23
月波 与生
句集「たむらあきこ千句」を読む ~決意をする一行詩
いま、川柳を書いている人には、川柳を書いていなかった頃も当然ながらあって、自分も含め川柳を書く人に、「川柳を書くことで、人生しあわせになれましたか、こころ豊かになれましたか」という問いかけがあります。自分の事でいうと、川柳をやっていなかった頃は、「こうしよう、ああしよう」が多かった気がします。いつも現状を変えていこう、変わることはよくなることなのだ、ということに囚われすぎていた、ような。川柳をはじめてからはどうだろう。川柳は自分に対する肯定感、共感を持っていないと書けません。今なら「まあ、足りないものはいろいろあるけど、持っているもので楽しく暮らしていこうか」というところでしょうか。
たむらあきこさんが「たむらあきこ千句」という句集を上梓されました。千句を選句するには、その何倍もの「読まれた句」があり、さらにその何十倍もの「詠んだ句」があるわけで、どの一句も、その背景にある何千もの心情(※を?)感じるようで、圧倒されてしまいます。
ヒマワリの貌にもすこしある斜め
もう止まりなさいと暮れていくらしい
その次を言えないきみの中の雨
ふり返るあんなところに風がいる
にんげんの耳を残している闇夜
川柳は自分を描く、描かなければならない文芸ですが、「自分は金持ちで恰好もよくて女性にもモテモテで…」とか川柳に書いても(たとえ本当だとしても)面白くないので誰も読んでくれません。同様に「貧乏で不細工で街を歩くと職務質問ばかりされて…」という川柳も(共感はしますが)読むのはしんどい。そこではなくて、与えられた境遇の中で自分は物事をどのように考え暮らしているか、を描くのが川柳の大切なところと思います。そのためには今の境遇を受け入れなくてはなりません。自分が置かれた肉体的な境遇(病気とか老いとか)、社会的、経済的境遇(家族、仕事、社会的役割とか)をすべて受け入れ、引き受けていこうと決意しなければ、「自分を描く」川柳はなかなか描けません。たむらあきこさんの句集、どの句からもその「決意」が読み取れます。自己肯定、自己共感、決意。この千の川柳たちに励まされる人は多いのではないでしょうか。
あっけない訃へ雨脚が寄ってくる
わたくしの中に私を撃つ私
はなびらのほどけるようにいなくなる
さみしくてゆるせる距離も測れない
もう骨であることの不思議さきみの葬
たむらあきこさんの句集を読みながら、川柳は自分を受け入れ、共感し、決意し、それを描く文芸だ、というところまで辿り着きました。
で、最初に戻ると、「川柳を書いてしあわせになれるのか、こころ豊かになれるのか」という問いかけはどうでしょうか。
たとえば定金冬二晩年の句
一老人 交尾の姿勢ならできる
にある、ひとりの男の老い方、生き方をどう感じるでしょうか。晩年の冬二がどう(※の?)ような境遇にあったのかは資料もなく残念ながらわかりませんが、この句からは不幸なにおいは感じず、むしろ生きる愉しさが感じられます。もちろん万人にあてはまるわけでもありませんが、川柳を書き続けることで、「こころ豊かで自分がしあわせと思える」人生を過ごすことができるように思います。
きみをさがすきのうがすこし澄んでから
いつかきみを想う恋文とっておく
きみの腕の中にわたしを爆ぜさせる
この世という地図にぼんやり立っている
空白としておくあなたへの後記
ブログやっています。こちらにも訪問いただけるとうれしいです。
『与生の月並みな川柳日記』
https://ameblo.jp/yojyo-tukinami/
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句集【たむらあきこ千句】を読んで
真鍋心平太
年明け早々柳友のたむらあきこ氏から句集が届いた。一読して感じたことは、17音しかない川柳で大切なのは何を書くかではなく、何を捨てるかだということだ。氏は短歌や詩や俳句では捨てきれなかったものを川柳によって捨てようとしているのだと思った。
表紙扉を開くと左側の頁に「きみの訃」から「襞にまで届く」まで36項目もの目次が並ぶ。目次の数としてはいささか多いが、読み手にとって折々に気になったタイトルの頁を開き、句と対話出来るようにするための工夫であろう。
バルザックの作品群《人間喜劇》は、原作の《コメディ》に引きずられた日本的な訳で、本来は《人間劇》とするのが正しい。これまでに作った句数が4万句を超えるという中から1000句を選んだというこの句集を読んでいるとそういった壮大な劇の中にいるように思えてくる。句の描き出す個性がそれぞれの形で、世界のあちこちを歩いているのを見るようだ。
これを書いている1月末日は日川協の文学賞応募の締め切り日である。氏に応募しないのかと尋ねたところ、「尾藤先生が逝かれてから、賞はもういいかという心境になって……」という答えが返ってきたが、今の川柳界でそういう師を持てたあきこ氏は幸せだと思った。紙面の都合上句の鑑賞にまで及べないのが残念だが、印象に残った句をいくつか挙げておく。
わたしという熱さで砂に杭を打つ
倦んでなお白を人間観に置く
引き摺るきのう首のぬばたま
感触の哀しさそんな位置にいる
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