(14日のブログの続き)
はい、二番に続きます。
川柳行脚が始まりました。和歌山でしばらく詠んでいたのですが、どうも合わない。どうも違う。そんな感じだったのですね。川柳塔わかやま吟社で、年間賞とかも何回か戴きましたが、なんか違和感があって。(10年前に)まず大阪へ出ました。
新葉館出版の川柳マガジン、その川柳マガジンクラブ誌上句会へ投句していたものですから、その関係で大阪句会に出たのです。そこでまず知り合ったのが、たにひらこころさん。この方を知っておられる方、手を挙げて下さい。おられますね。川柳マガジンに「COCO論」を書いておられます。(いい意味で)はっきりものを言われる方で、時実新子さんのお弟子さんです。和歌山の、朝日新聞地方版の選者をしておられます。時実新子さんのお名前はよく知られていまして、そのお弟子さんに、新子さんはこういう人だったとお話を伺うのは初めてでした。
ほか、川柳文学コロキュウム、点鐘散歩会、川柳天守閣、川柳展望、川柳(グループ)草原など。機会があれば行かせていただいています。…中略…川柳草原は、力量ある柳人が選にあたり、(比較的)若い柳人が集うところで、京都にあります。なかなか難しい、けれども面白い句会です。…中略…川柳瓦版、ここはわたしが所属しているんですけれども、ここは何と時事川柳専門結社なのですね。瓦版は古いところで、岸本水府師が創始者。かつて、いちばん同人が多いのが番傘、その次が川柳塔、それに次いで瓦版でした。いまちょっと少なくなってきましたが、それでも大きな結社の一つです。
なんで、こんなところ(時事川柳専門結社)に入ってきたのだろうと時々自分でも思うのですが(笑)、ちょっとそのあたりのお話を申し上げます。わたしは八年と少し前、川柳展望の句会に出たことがあります。そしたら、右肩を叩く人があり、それが読売新聞の時事川柳(よみうり時事川柳)選者として有名な前田咲二先生なのですね。先生は「あんた、和歌山から来たんやね」そうおっしゃいました。…中略…わたしもびっくりしながらも嬉しかったのです。
そして、あっちこっち句会へ行くのですが、堺にある、番傘の川柳会に行ったときに、今度は先生が寄って来られて、なんか句箋の切れ端に「句会が終わったら、ウチの編集の人たちと蕎麦を食べに行きませんか」と書かれたものを渡されました(展望句会と堺番傘句会で秀句をいただいたので、印象に残った?)。連れが居りましたので、その日は失礼しました。そして、申し訳ないことをしましたと、後日電話をかけました。…中略…
うちの先生とわたしはよう似ていたんです。先生は(当時)俳句を七十年、短歌を五十年、川柳は横綱と言われています。番傘川柳本社句会で(年間)入選句数の一位二位を森中惠美子先生と争っていたのです。その時はそんなこと気が付かなかったのですけれど。そうか、短歌も俳句もやっているからわたしのことをそんな風におっしゃってくれるんだなあ、と嬉しかったんです。そのあとで「ウチの句会においで」と言われたので、…中略…お手伝いさせていただこうと瓦版に入って、今年は九年目です。
ずいぶん前のことなので少し忘れてしまいましたが、すぐに森中惠美子先生に紹介していただきました。番傘本社句会が終わって、森中惠美子先生がかならず何人かの方々と、蕎麦屋の そじ坊に行かれるのです。うちの前田咲二先生も編集部の何人かと そじ坊に行き₍ます₎、向き合いになって、そこできちんと森中惠美子先生に紹介されました。
時事川柳を制する者は川柳を制す。(前田咲二)先生がよく言われる言葉です。最初はびっくりしたのですが、この言葉にも惹かれて瓦版で時事川柳を詠むようになったのです。
(続く)
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なるほど、やはり結社の魅力もありますがきっかけは人との出会いなのですね。
和歌山から毎月大阪の句会へ行かれているのですか?
加藤 鰹さま
そうです。句会が続くときは泊りがけで行きますが。このごろはちょっと疲れが出て、そろそろ遠征はしんどくなってきたかな。
月に6~12回は出かけていましたから、10年で720回以上は出かけたことになる。まあ、1000回ほどでしょうね。いつも電車の中で推敲しているので、どこへ行ってもあまり景色の印象はないのね。詠んだ句も、一回に70句として、70000句あるかな。
途中までは没句ほかみんな捨てていたのですが、いまは全部置いています。推敲するだけでも残り時間はすべて要るかも。
まあ、好きなことをして、これでよしとせねばなりません。
子育てもしたし、介護もしました。好きな仕事で収入があったことを感謝。あと『たむらあきこ川柳1000句集 たましいのうた』を出すこと。それと吟行。
静岡へは近くまいります。 イク(*^^*)カラ~~