手元にある柳誌からいろいろな句会大会の「(お)題」を拾ってみた。とくに大会に出席を考えるとき、当日の選者名を見るのは当然だが、次に見るのは「(お)題」。現在心惹かれるのは1字だけの「(お)題」。文芸川柳を志しているからだろう。
味気ない例えば「選挙」「年金」「バイト」などを見ると、途端に創作意欲が減退する。詠んだ句も、内容的にこの先出す句集にはまず入れられないので、詠むだけで時間のロスのようにも思えてくる(上記のような「(お)題」はふだん時事川柳として詠んでいる)。
もちろん、多くの方々がこれでよいと思っておられるわけで、とくに苦言を呈するつもりはない。ただ上記のような「(お)題」へは句の内容のパターンが幾つかに決まってくるような気がする。
ところで「(お)題」を見て私がまず試みることは、類語辞典を開いて、置き換えられることばを探すこと。例えば「退屈」なら、このままでもいいが類語辞典を開いて「所在無い」「手持ち無沙汰」などの類語を見つけて書きだす。そこから発想を広げていけば、さまざまなシチュエーションでの文芸川柳が生まれてくる。上記3題なら置き換えるまでもない。
できることなら、そういう置き換えの必要もない「お(題)」を出していただければもっとありがたい。「白」「美」「明」「空」「水」など、1字だけ(最近多くなってきている)の「(お)題」。ちなみに27年度「咲くやこの花賞」の「お(題)」は「薬」「点」「隙」が1字。要は出来た作品の質だけが問われるのであるから、そもそもの入口の発想の幅を自在に広げるため、1字だけの「(お)題」がもっと増えてよいと思っている。
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「俳句や川柳は一流の芸術ではない」(桑原武夫『第二芸術論』と言っている。
中略…他の国は一流芸術だけがあり、第二・第三はない。
素人が参加できる第二芸術が、これほど豊かな国を知らない。
格式ある家元制度から地域の集いまで、多種多様な組織が共存し、
老若男女が研鑽を積み合う。
それが日本の美意識を支えている。
俳句(川柳)や短歌ならば選者を選んで新聞の歌壇・俳壇へ投稿し、
腕を磨けばいい。
日常を芸術的に見る目を養い、指向の訓練にもなる。
謡曲や三味線・尺八・舞踏・など芸事の視野も広い。
披露し褒めあえば、孤独もまぎれる。
円熟を重ねる高齢者は若い世代を感化する…。
日本文化の宣教師・ドナルド・キーン 「感慨と苦言」
(*´ェ`d)~~~~~~~~~~(b´ェ`*) 運命の赤い糸
茶助さま
はい。いろいろ勉強になりました。
第二芸術論ね、懐かしい。
短歌・俳句より川柳が下に見られているのがイヤで、それをなんとかしたいのがあきこなんですよね~。
でも、少し考え直しました。「消えてゆく文芸」でよいとして川柳を楽しんでおられる方々も多いし、あまり肩に力を入れることもないのかもしれないと。
でも、他人に対しては寛容に考えられても、自分の川柳は「なんとかしよう」って力が入ってしまうのよね。
どこか完全主義なところがあり⁽句に対して⁾、ヘトヘトになってしまうにゃんでした。(-_-;)
おはようございます
あきこさまも同じ考えで嬉しいです
私も一字の題のほうが広がりがありいいと思います
徳田ひろ子さま
ねえ。
まあ、いろいろな考え方があると思いますので。
文芸川柳を志していると、どうしてもお題よりは内容本位ですからね。
広がりのある1字だけのお題はこの先増えていくとは思いますが。
「バイト」というようなお題を見ると、やはり創作意欲が減退するということはありますね。^^;