〔26日、記す〕
青砥たかこさんに先日大会で頂戴した句集「マチエール」。下記は読後に心に残った句の一部。少しずつ鑑賞、数日かけて(ばらばらに)書き込んでいきます。(まとまった時間がなくて…)
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この句は以前川柳マガジン文学賞に応募されていた句。同年度に私も応募していたので、強く記憶に残っている。そのときの「青砥たかこ」さんはぼんやりと遠くにおられたが、こうしてご縁を得て近くにおられる方になる。同じ道にいる者同士ということの有難さ。
私に、「人形というかなしみになっている」という句がある。上記の句はそこに (にんげんとは所詮は) 「可燃ゴミ」に過ぎないという<穿ち>を添えている。
濃縮の刻を毎日使い切る
句集のたかこさんの「あとがき」に、「何かを焦っているように生きているのは、長生きは出来ない家系だと、脳裏にあるからかもしれません。」とある。「濃縮の刻」とは、その「あとがき」のような意識がそうさせている (生き急がせている) のだと思う。私も母を60歳で亡くしているので分かることである。たかこさんの母上は55歳で亡くなられたと、それも「あとがき」にある。娘として、母の亡くなった年齢を自分に被せて意識せずにはおれない。自分が逝く日までの貴重な「刻」を思って、一日ずつ丁寧に過ごさずにはおれない。
「ひとり」では寂しい。友だちを求め、恋人を求める。「ふたり」、うまくいっているときは大きな幸福感をもたらしてくれる。そんな幸福感にもどこかに欺瞞があり、耐えがたくて裂けるように別れることにもなる。まして友だち「さんにん」が寄れば、人間関係のギクシャクはいずれ始まる。いっそ「ひとり」が結局はいいと。「ひとりずつ映せばさむい裾ばかり」、これは私の句。
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