平成16年3月23日逝去。父の死の前後の日々をいまも忘れない。病名は、いまも書けないほど辛い。それからの日々を追悼のうちに暮らしてきたといえよう。今年13回忌を迎える。
13日に13回忌の法要を営む予定で、お寺にも頼んでいたが、7日の私の骨折で法要を延期。あの世から 心配して見てくれているかもしれない。大正15年生まれ、生きていれば今年89歳。じつは瓦版会長と同年齢なのである。昭和一桁世代。あの世代の日本人の多くと同じように、誠実でまっすぐな背骨をもっていた。国文学に造詣が深く、高校教師だったが、同僚からも一目置かれていたようである。
大学院に残るように勧められたらしいが、学生結婚のため、教職に就いた。あと和歌山の地元の大学の〇〇教授の研究室にいたという話だが、詳しくは知らない。教師としてカリスマ性があったのか、人気があったらしい。自らの意志で、あえて管理職などを断り、四十代から自宅で水墨画を描いていた。料理に興味があり、美味しい手料理をいつもつくってくれた。
私が看取ったので、最後に「おまえといちばん縁があったな」とことばを残してくれた。息を引き取るまで手を握っていたが、握りしめると握り返してくれた。その手からスーッと体温が引いていったのをいまも忘れない。私が川柳で地元吟社の年間賞をいただいたのを喜び、亡くなるひと月前、病室のベッドで「川柳を、教えてくれ」と言って、最初で最後の川柳を詠んだ。下記は、そのうちの一句。
わらべ歌 送葬曲にとっておく
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