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 再びふり返って「川柳は文芸たり得るか」と考えてみると、川柳に限らず、小説・詩・短歌・俳句等のジャンルだからと言って、例えば小説を書いているから私は文芸を書いている、俳句を創っているから、私の俳句は文芸だーーとは誰も思わないのではないか。要は、それら多数の作品の一部のすぐれた作品のものを、我々は文芸と呼んでいるのではないか。文芸とはジャンルによるものではなく、個々の作品によるものと思う。それは同時に川柳にも当てはまると思うのだがーー。

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 以上簡単に各時代のポイントを上げてみたが、これだけ見ても川柳の表現が変化しているのがわかると思う。  第三、第四、第五は、それぞれ関連がある。第三の問題は、前記の作品を読んでもらえれば、川柳がこっけ... 「つづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)」の続きを読む
 ・屍のゐないニュース映画で勇ましい     鶴 彬  ・万歳とあげて行った手を大陸において来た   ゛  ・手と足をもいだ丸太にしてかへし       ゛  ・胎内の動きを知るころ骨がつき     ... 「つづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)」の続きを読む
 ・一代の五尺に足らず絵巻物       吉川雉子郎  ・生きている証拠に飯を食っている      ゛  新川柳改革後の川柳である。この作品は、小説家吉川英治の若かりし頃の作品である。古川柳の他人を第... 「17日のつづきのつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)」の続きを読む
 以上、五点上げたが、これらに対してどうすべきか。  第一に対しては、現在歴史的に見て、おそらく今が一番川柳人口の多いときではないかと思われる。理解者を得る土台が今出来かかっていると言えるだろう。現在... 「17日のつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)」の続きを読む
 川柳がなぜ文芸らしくないのか、その理由として私は次のように考える。  第一に、川柳は数百年の時間を背負った短歌、四百年の伝統のある俳句に比べると、まだ歴史が浅く(ほぼ二百五十年)、理解者層に開きがあ... 「17日のつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)」の続きを読む
 現在、川柳は様々なメディアで取り上げられ、川柳人口も増大しているようである。しかし、他の文芸(小説・詩・短歌・俳句)の人、あるいは一般の方々から「川柳は文芸ではない」という言葉が時折聞かれ、またその... 「【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)」の続きを読む
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