昨日の続き。
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「毀れ」は「こぼれ」。句を研ぐのは刀を磨ぐのと同じで、かなりの集中力を必要とする。研いで研いで、研ぎきること。贅肉をすべて削いだ中にこそたましいの声が宿る。
1時間に数十句を詠む。あと時間があるかぎり推敲、が私の作句パターンになった。自宅では集中し切れないので、作句のための場所をいくつか見つけてある。ふつうは喫茶店。句会当日に作句することが多いが、それもまた集中力を鍛えるためには良いことかも知れない。
墨作二郎氏の「点鐘散歩会」に参加させていただいたことは、短時間に多作する経験を積ませていただいたという意味でも有り難かった。
どんな川柳があってもよいと思う。575の定型以外は自由なフィールドである。それ以上の枠を付け足すことはむしろ何かを損なうことである。自由詩のような広さも手に余る。頃合いの場所として、川柳の575の枠はちょうど私が納まるには向いていたということだろう。
座標軸動かしながら生きている
何ものにも囚われないこころが、川柳を詠むことにおいてもっとも大切なのではないか。「座標軸」を頑なに固めてしまっているのでは、いのちの底からの声は出にくい。
ひとりきりの祭りのように爪を切る
独り暮らしの自由は川柳を書くことには向いている。ぱちんぱちんと「爪を切る」とき、その音だけが響く空間を何よりも大切にしている。これが私の「祭り」、人生の味わいそのものなのだ。
(続きはまた明日)
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昨日1日は母の命日。車で迎えにきてくれた姉と菩提寺の境内にあるお墓に参る。
母が逝ってもう28年。父が逝って8年。教師、歌人でもあった母が還暦までしか生きられなかったことを思う。姉が自宅の庭につくっている数種類の花を供える。墓前で姉妹ふたり般若心経をあげる。母にとっての孫、わたしたちの息
子や娘のことをよろしくとお願いする。
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