
水音がいつもわたしの中にある
水音とは単なる環境音ではなく、常に自身の内側にあるもの。たとえば逝った人の記憶の残響。
男と女。出会いも別れも、あたかも季節の移ろいのように意志とは無関係に訪れる。大切な人を失ったとき、心にぽっかりと風の通り道が生まれ、その空洞はしばらく痛みを伴って鳴っている。故人との思い出は光となって胸中を照らすが、触れようとすれば脆く儚い。哀惜がいつまでも残る、静かな喪失感。
それでも、やがて残された者にも思いがけない出会いが訪れる。誰かの声がふっと心の奥の風の通り道に入り込み、忘れていた異性との間の温度や湿度までを呼び覚ます。その瞬間、戸惑いが生まれるのも自然なことだろう。しかしそれまでの痛みを裏切るような気がして、そのことにためらいを覚える。失った人との時間の重さを知るだけに、新しい関係には慎重になるのかもしれない。
失った人への想いを抱えたままゆっくりと歩きはじめる。前を向くことに意味がある。過去を消す必要はなくまた比べる必要もない。心に残る日々の影や光をそのままの形で抱きしめていてよいのだ。新しい相手は失った人への痛みを奪うために現れたのではなく、痛みとともに生きる自身を理解しようとする存在かもしれないと。
独りの老年同士の交際とは、そんなたがいの背負ってきた時間を思いやり、そこに耳を心を澄ませることだろう。急がず無理をせず、相手のことばの揺らぎや沈黙の意味までをていねいに受け止める。自身の喪失の記憶も相手の中にある孤独や願いも、どちらも否定しない。そのようにして初めて二人のあいだには新しい風景が生まれるのだろう。
別れを知る者同士の交際は深く静かで誠実。過去の痛みがあるからこそ、いま目の前にいる人を大切にしようとする心が育つ。出会いと別れを繰り返す人生、交際を続けていくとは失われたものへの祈りとこれから生まれるものへの希望をそっと抱きしめる行為なのかもしれない。
老年の恋には、若い頃のような衝動や激しさはないが、その代わりに静かな深さや選び抜かれた温度や湿度がある。これまでの人生の道のりで得たものや失ったものの記憶、諦めた夢や少しずつ変わってきた価値観を抱える老年。それでも誰かを想う気持ちは芽生える―その瞬間、若い頃にはなかった輝きが心に宿る。
老年の恋は、経てきた時間の重みを背負った者同士のさりげない対話から始まる。無理に自身を飾る必要もなく、相手に期待を押しつけることもない。ただこの人と過ごす時間が心地よいという、素朴で確かな感触が関係を育てていく。若い頃は未来を形づくるための恋だったのに対し、老年の恋はいまこの瞬間の時間と空間をていねいに味わうためにある。
しかし老年の恋には恐れと勇気も同居する。ふたたび相手を失うかもしれない不安、たがいの身体の衰えや生活の変化への戸惑い。それでも心が動くのなら、その勇気こそが老年の恋を尊くするだろう。
老年の恋は、人生の余白を分かち合ういとなみ。ともにする散歩は、季節の移ろいを語り合うだけで満ち足りる。沈黙すらも心地よく、たがいの存在がたがいの生活にしだいに自然に溶け込んでいく。そこには、長い人生を経た者同士だけが辿り着ける穏やかな幸福があるかもしれない。
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