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改めて台湾の日本語短詩文芸会をご紹介致します。( )内は設立年

短歌会:①台湾歌壇(1968) ②コスモス短歌台北支部(1978)

俳句会:①台北俳句会(1970) ②春燈俳句台北句会(1980)

川柳会:①台湾川柳会(1994)

以上でお分かりのように、台湾川柳会の設立年は短歌会、俳句会と比較して新しい。この点、「近くて近い台湾と日本~日台交流川柳句集」p103、下岡友加先生の寄稿「台湾の日本語文芸」で、以下のとおり記されております。

背景には、台湾で1987年まで戒厳令が敷かれていた事情がある。短歌会も俳句会も戒厳令解除まで、日本語を使用する怪しいグループとして常に政府の監視下にあった。そんな中、政治や社会を風刺する川柳を公の場で創作することは、命を危険にさらす行為に他ならなかった。よって川柳会は、台湾に言論の自由が保障された証しである。

上記の「台湾の言論の自由が保障された」時期とは、いわば李登輝閣下(蔡焜燦先生から李氏を語る場合は「閣下」と指示されました)が、1988年~2000年総統に就任して、一連の戒厳体制の撤廃や民主化の推進を行ったときでもあります。

御多分に漏れず、台湾川柳会でも閣下を「ネタ?!」とした句も散見されます。憚りながら、小生一番のお気に入りはやはり、当会二代目会長、李琢玉先生の標題句です。

さて、三月より誌上になっていた台湾川柳会、8/02、五か月振りに句会を再開しました。それが上記の写真。話題は自然に閣下との思い出話になりました。

昭和二年の李錦上先生は、閣下の御夫人、曽文恵さまが短歌を嗜むご縁で、台湾歌壇の三宅教子さまとともに、謁見したことがあります。夫人が三宅さんと短歌についてお話された時、錦上先生はしばらく閣下と俳句談義をされたそうな。

昭和三年生まれの廖運藩先生は、淡江中学校では閣下の四期後輩。閣下が2013年新竹県北埔を訪れた際、同地の指定文化財「姜阿新洋楼」を参観、同洋楼はちょうど運藩先生義父の邸宅。お二人はしばらく中学時代、特に剣道の思い出話をされたとか。

 

ところで、句会は無事再開されましたが、課題はやはり小生のコロナボケ。いろんな俗雑務に追われ、台湾川柳会会報は五月号より、台北俳句会会報は六月号より、いまだ配信てきていない状態です。せっかく楽しみにしておられる会員方々、大変申し訳ございませんが、どうかもうしばらく時間をください。

 

 

 



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李登輝の長い顔タイワンの顔 李琢玉”にコメントをどうぞ

  1. 江畑 哲男 江畑 哲男 on 2020年8月3日 at 8:09 AM :

    掲出句、小生も大好きです。
    李琢玉さんの名句の一つでしょう。(小生が一番好きなのは、「ニホン語を知らぬ孫にもネンコロリ」です。)
    そうですか。李錦上さんは、李登輝閣下と俳句談義をされたのですか。俳句談義の出来る政治家なんて、世界広としいえども、李登輝閣下だけでしょうね、たぶん。哀悼。

    • 杜青春 on 2020年8月3日 at 10:18 AM :

      松島や 光と影の 眩しかり 李登輝
      2008年、閣下の「奥の細道」探訪の際の句です  合掌

  2. 上野 楽生 on 2020年8月3日 at 5:46 PM :

    いい記事ですね。
    李登輝さんの偉大さが改めて分かりました。

    もう20年程前ですが、李琢玉さんから1度だけお手紙を戴いたことがあります。
    当時、海外にも楽生日記を送っていた関係で、楽生を知ってもらったと思います。
    その時は台湾川柳会のこともよく知らず、また達筆で全文理解できずに、そのままにしてしまいました。
    兒の識らぬ日本語でする痴話喧嘩  李琢玉

    • 杜青春 on 2020年8月3日 at 11:38 PM :

      楽生師匠、いつもコメントありがとうございます。
      琢玉先生の直筆は残念ながら見たころがありません。
      確かに判別できない達筆家がありますね。

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