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 一昨日も、きのうも、会を終えて帰宅後疲れて寝てしまった。やはり体力をつけないといけない。一回一回交通費・会費・時間をつかって来ていただいていることを思えば、それに見合うだけのものを持って帰っていただかなくては、と思う。しかし、まずは楽しくないといけない、そのことも考えている。みなさまのご意見をうかがいながら、一回ずつ努力していくことになるだろう。
 一人でがんばっているわけではない。がんばれるわけはない。みなさまのご協力があってこそのこと。天国の前田咲二先生も、楽しそうに笑いながら背中を押してくださっているように思う。先生、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。(-人-)


20日、文芸まつり審査会(小・中学生の部&高校生・大人の部)
略(於和歌山県民文化会館101号室)


21日、名草川柳会レクチャー
…………………………………

(^0^)/ 名草川柳会(第27回勉強会)
2025/10/21(火)

『たむらあきこ川柳集2010年』から10句。

曼殊沙華自分に嘘をつきとおす

さみしさが溜まり半開きになった

約束のように桜が咲いている

渦ふたつ擦れ合いながら生きている

いつも何かを促しにくる誕生日

一人称ばかりがせめぎあうコップ

半径をのばして夢とすれちがう

転生の途中ですするかき氷

遮断機の向こうはきっとわらべ歌

ひとりきりの祭りのように爪を切る

【鑑賞】上記10句を考える。

【実作&添削】互評&添削。(宿題:「 」つぎの勉強会のはじめに各自1句白板に書いておいてください。)

【🍊】川柳はかねてより〈無名性の文芸〉と言われてきた。無名性、それは魅力でもあるが、短歌や俳句にくらべての一般社会での評価を考えると非常に心もとない。川柳句集の発行も盛んといえば盛んだが、その内容への他ジャンルからの反応はほとんどない。読者層もほぼ既存の川柳会に所属する人々に限定されてしまい、外部に広がっていくことはあまりない。作品を世に問うということがなければ仲間うちだけで披露しあっていることになり、世界が広がらないことは言うまでもない。絶えまない努力とその結実としての作品が「(川柳の)文芸としての厚み」を形成してゆくと思う。他ジャンルの人から「川柳とは、どういう世界なのか?」と関心をもたれたとき、示せる質と量。川柳という文芸への評価を上げていくためには、川柳人一人一人のこころざしと努力が必要なのではないか。

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