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4000年前(紀元前2000年ごろ)にドラヴィダ族が日本へ数千人規模で移住し、出雲に定着した。歴史人口学の権威、速水融さんの『歴史人口学の世界』では、紀元前400年ごろの日本の人口を10万人程度と推計。数千人の移住は、日本全人口の10~70%にも相当。現在の日本で言えば、数千万人規模。当時の中国は、黄河文明から夏王朝(最初の王朝)成立あたりに相当する。
 
ドラヴィダ族移住は重大なできごとで、日本の正史に記録すべきなのだが、全く記録がない。忘れられたのではなく、正史から抹殺されたのである。古事記・日本書紀成立時にそれ以外の記録が抹殺されたことは、記録されている。記紀の目的は天皇家万世一系の正当化なので、万世一系が虚構であるなら、史実は隠されたことになる。歴史は常に、勝者が勝者の都合で作る。日本の古代史でいうと、勝者は記紀成立時(飛鳥時代)のヤマト朝廷で、敗者はそれ以前の王朝や王国ということになる。
 
出雲王国は、ヤマト朝廷の前であり、ヤマト朝廷を成立させながらもヤマト朝廷から排除されたので、記録はない。とはいえ、出雲国風土記や各地の伝承・伝説、古い神社の由緒や祭神などに痕跡をとどめている。出雲の加茂岩倉遺跡荒神谷遺跡の圧倒的な量の銅鐸・銅剣の出土は、考古学的な証拠でもある。出雲が国譲りをして以降、九州南部へ天孫降臨があり、その子孫(イワレビコ)がヤマトへ東征して神武天皇として即位し、ヤマト朝廷が始まった、という流れである。
 
当時、出雲王国のことはふつうに周知の事実だったのだが、持統天皇と藤原不比等が「正史」作成時に、出雲の歴史を排除し、万世一系を虚構したということ。古事記の作者(稗田阿礼=柿本人麻呂〈出雲の伝承による〉)は「正史」に正史を書くことを禁じられ、神話の形でならと許可が出たので、神話の形で史実をぼかしたり曲げたりしながら織り込んだ、とのこと。そして、政権は、古事記を草稿として扱い、古事記をベースに日本書紀を仕上げ、古事記を廃棄することを命じた(こっそりと温存された)。日本書紀にはわずかしか出雲神話が記述されていない。そして、正史に違背する歴史を残すことを禁じた。神話としてでてくる神の名は、大部分が実在の人物。ただ、相関関係や時代は史実通りではない。神社の祭神を見ると、歴史が見えてくることもある。
 
出雲は歴史から抹殺されたので、出雲の歴史はあってはならないことになる。そこで、出雲王家の子孫は、代々、厳密な方法で、口伝により〈正史〉を伝えてきた。このような口伝の正史は、出雲王家だけではなく、いくつかの古代の有力な家系で同じく口伝されてきた。大元出版では、他の口伝とも照合したところ、見事に一致したとのこと。
 
ドラヴィダ族の移住が紀元前2000年ごろで、その後、出雲を中心に出雲族が増えて繁栄し、紀元前660年ごろ、出雲王国ができた。「王国」という言葉のイメージは、権力をもった王が力で支配する形態だろうが、出雲王国はドラヴィダ族と同じく母系社会であり、「いばる王」ではなく、「面倒を見る王」のような感じ。古事記に書かれた大国主の国づくりのイメージに近い。ちなみに、古事記に書かれた大国主は、第8代出雲王、八千矛(やちほこ)のこと。出雲王は17代続いた。その17人の王の名がすべて、古事記に記されている。新潟から福岡にかけてが出雲王国の範囲だった。力による統治ではなく、軍はあっても戦争はほとんどなく、平和な世の中だった。考古学的な発掘でも、縄文時代には戦争の痕跡がほとんどなく、弥生時代になってから急増する。
 
福岡県に宗像大社(むなかたたいしゃ)がある。祭神は、沖津宮は田心姫(たごりひめ)神、中津宮は湍津姫(たぎつひめ)神、辺津宮は市杵島姫(いちきしまひめ)神であり、宗像三女神、また宗像大神とも呼ばれる。市杵島姫命は、後代には弁天さんとして日本各地で祀られるようになった。ところで、この三神は実在の三姉妹。6代目出雲王の息子が宗像家を起こし、その娘が三姉妹なのだ。とくに、湍津姫(たぎつひめ)神(多岐津姫)は8代出雲王と結婚、その娘、高照姫は徐福と結婚して生まれた息子の息子がヤマト朝廷を開く(神武天皇のモデル)。
 
神武天皇は架空の人物だが、そのモデル(初代大王)は実在、海村雲(あまのむらくも)という。その父親は香語山(カゴヤマ)で、村雲が父を祀ったのが天香具山(あまのかぐやま)。歴史学者は、2代天皇~9代天皇を実在しない欠史八代としている。事蹟が記録されていないのは、王朝が異なるからであり、万世一系でないから。古代天皇の寿命が長すぎるという批判は、出雲族の年齢の数え方が異なるから。春と秋に年をとる。つまり、年齢が現在の数え方の2倍になる。
 
大和三輪山に祀られているのは大物主神、つまり大国主命の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)。出雲族は天孫族によって三輪山麓に封殺された。また、三輪山のある奈良県桜井市には今も「出雲」という地名が残る。彼らが畏怖し、仰いだ山が三輪山であり、大国主命はそこに出雲族のシンボルとして重ねられたのである。(以上、ネット上の記事を要約)
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