すこし古い人間なのかもしれないが、「志には志で応える」、そういう考え方が私にある。前田咲二(作自)会長とはそういう出会いだった。
川柳マガジンクラブ大阪句会に来られていた永井玲子さんのお誘いで、平成18年7(?)月、展望句会に初めておじゃました。「和歌山から来られたたむらあきこさん」という、司会のかたのご紹介のあと、会長にお声を掛けていただいたのだった。
会長もご出身が和歌山とのことで、ほんの少しお話をさせていただいた。おなじ句会に出席されていたかたに、「あんな偉い人に声を掛けてもらえるなんて、サスガあきこさん」などと冷やかされた(?)ことを覚えている。柏原幻四郎氏のあとを継いで、会長に就任された直後だった。
次に堺番傘句会でお会いしたとき、帰り際、傍に来られた会長に一枚の紙片を渡された。達筆で「帰りに編集部で蕎麦を食べるので、ご一緒にいかがですか」とあった。私にも同行のかたがおられて、手洗いで時間をとっているうちにその日は行き違いになり、電話でお詫び申し上げた。展望句会と堺番傘句会とで連続して秀句をいただき、会長の印象に残ったということだろう。
翌月(?)の堺番傘句会の帰りに、編集部のみなさんと初めてご一緒させていただいた。あと「○○者」として瓦版に入って欲しい」「時事川柳を勉強して欲しい」というお誘いをいただいた。「○○者」云々はさて措き、大先生がそこまで言って下さる熱意に感じて、いま瓦版編集同人としての私がある。会長のお勧めで、考えてもみなかった時事川柳専門結社に入らせていただいた。編集同人として毎月3回、句会・編集会・校正会に大阪市中央公会堂まで通っていることを考えると、不思議なめぐり合わせと思う。
「時事川柳を制する者は川柳を制する」と会長。遠方の大会に参加するときは「(秀句を)取ってこい」という言葉で送り出して下さる。江田島の海軍兵学校出身、87歳の会長もまた、(川柳を)「闘って」こられたかたなのである。
「志には志で応える」という話。
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心に持てばと思う三つの「シ」。
一番目の「シ」は、こころざしの「志」
二番目の「シ」は、先生の「師」
三番目の「シ」は、情操を養うための「詩」
「骨として夢のカタチを拾いあう たむらあきこ」
「半音を下げて踏み込む運命論 たむらあきこ」
りょーみさすけさま
志、師、詩。
昭和1桁生まれのかたは「志」で生きておられるようにお見受けします。
真っ直ぐな背骨、というか。海軍兵学校というのは将校育成の場で、江田島にあったんですよね。全国から知力・体力ともにすぐれたエリートだけが入れる最難関の学校だったとか。(ネットで検索しました)
うちの先生はやさしいから、下級生を殴ることなんかできなかったとおっしゃっていますよね。あの時代はそれが当り前。
卒業前に終戦になって、戦争で命をとられないで本当によかった。
長生きしていただきたいですよねー。