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 詩とは、簡潔で、かつ隠喩が使われたり、ことばへの格別な注意がみられるなどの理由で詩と見なされる。散文詩は、散文と詩の両方の性質を兼ね備える異種交配的なジャンル。いずれ時間があるときに、川柳的な穿ちの要素をふくんだ散文詩に挑戦してみたいと考えている下記は、小堀邦夫(無動来西)氏の散文詩。


小川の清明な音と囀る鳥の声は、この世のものでないように聴こえる。

いずれ影さえ残らない身を祝福している秋の、晴れた早朝。

黄櫨(はぜ)のもみじが青空に赤く映えている。
椎や椿の樹林にぽっかりと日溜りがある。
その静けさの奥処
(おくが)
にわずらわしいことを全部置き去りにして母が佇んでいる。

巧妙な刹那主義に生きている人は振り返らない。
危険はいつも前からやってくると信じているからだろうか。
未来はどこまでも自分の生の時間と信じているからだろうか。
  
 『詩経(しきょう)』序に〈詩者、志之所之也。在心為志、發言為詩。(詩は、志の之(ゆ)く所なり。心に在るを志と為し、言に發するを詩と為す。)〉とある。 すなわち、詩とは志の赴(おもむ)くところである。それが心の中にあるのが〈志〉、ことばとして発したものが〈詩〉であると。詩とは、こころざしなのである。 (注 詩経:中国最古の詩集。BC12世紀~BC6世紀、約600年間の詩が305編集められている。)
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