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 吟行は観光ではない。吟行とは、当然ながら、創作の苦しみを伴うものである。

 行けるかどうかはオミクロン株などの状況にもよるが、一応近日隠岐の島吟行を考えているのね。ふつう、この地に行く人の目的は、隠岐が日本海西部の離島のユネスコ世界ジオパークだからというようなことが多いのではないか。日本海と日本列島形成の歴史をとどめた岩など、また環境変動の結果生み出された植生を見たり、こうした自然環境のもとでの文化に触れることができるからなのね。

 侵食海岸や海岸の亜高山性植物にもちろん関心はある。しかし、そのどれもを知ろうとすれば時間的にも経済的にも限界があるのね。またそのような自然だけでは、川柳に詠むにも限界がある。やはり濃密に〈にんげん〉が絡んでいる土地こそが、川柳の吟行にはふさわしいのである。

 結局、後鳥羽上皇のおられたあたりをくりかえし彷徨することになる。後鳥羽上皇は、鎌倉初期(在位1183~1198)の第82代天皇。1183年に平氏が安徳天皇を擁して西走した後、祖父後白河法皇の院政のもとで即位しているのね。1192年の法皇没後は自らが政治を執り、譲位した後は、1198年~1221年にかけて院政を行ったのね。

 この間、武芸振興に注力し、西面の武士を新設して公家勢力の拡充に尽力した。さらに子順徳天皇らと組んで倒幕を計画、1221年倒幕の院宣を発したのね。しかし、幕府の大軍に完敗(永久の乱)、隠岐に流されその地で没した。和歌にも優れ、『後鳥羽院御集』『遠島百首』等の歌集があるのね。(哀切といわれる『遠島百首』を吟行までにしっかり読み込んでおきたいのね。)

 この『遠島百首』、近くの図書館に関係書籍があるだろうか。遠流後の後鳥羽院を深く掘り下げて川柳に詠みたいので、そのための吟行なのね。やはり和歌など文学に遺っているということはその地に惹きつけられやすい。じっくり上皇のこころに触れることで詠めるのね。あっちもこっちもではなく、19年間の離島での上皇の悲憤や悲しみに触れて、あきこの川柳に結実したいと思うのね。

 吟行地は、まずその土地に縁のあった文人の作品や生涯を絡めて詠めるようなところがいいのね。嘱目吟に深みがでるかどうかは、吟行前の資料の研究にもかかっている。先人の生涯に現代を生きる一人の川柳作家としての人生や感慨を絡める、それがあきこの嘱目吟なのね。

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