いま、せっせとつぎの句集(『吟行千句』のつぎ)の推敲に励んでいます。出席した句会の結果をブログに載せているわけですが(おまけに没句まで、笑)。恥ずかしいなあと思うのは、あらためて句集に収載する句を抄出するときなのね。
今回もがっくりしながら拾い上げて、順番に手を入れていっているのね。(正直全選者を信頼しているわけではないので)入選句・没句を問わずやるわけです。逆に言えば、入賞・入選しているからといってそのまますべて句集に載せられるほど川柳は甘くない。「いまいちやなぁ、こらあかんわ (-_-;) 」と、和歌山弁でぼやきながら切り捨てているわけです。
ところで。文学一般で方言を好意的に捉える人々が増えたことは、学校教育の変化と関連しているかもしれないのね。かつての国語教育は、家庭や社会で自然に覚えた話し言葉の誤りを正していたのです。
戦後の教育改革により近代的な教育に発展したものの、方言は矯正すべきという考え方はその後も受け継がれたのね。日本で最も古い学習指導要領(1947年)には、「正しく美しいことばを用いることによって、社会生活を向上させようとする要求と能力とを発達させる」「わるいことばをつかう習慣をなおそうとする」などといった説明があるのね。方言を話すことはよくないという意識がみえるのね。
1950年に改訂された学習指導要領には、「標準語」に代わって「共通語」という用語が使われているのね。1958年の改訂では、共通語が「全国に通用することば」に置き換えられて、定義が強調された。共通語と方言は「よい・わるい」ではなく「違い」であり、さらに、方言にも役割があることを公的に認めるようになったのね。
日本文学史においては、『万葉集』の防人歌などが古代東国方言を反映している。近代以降では、宮沢賢治などが方言を用いた文学作品を発表しているのね。また谷崎潤一郎は、大阪弁による語り口調を小説に多用している。全体に、書き言葉としては方言の勢力は微弱だが、会話文に方言を多用した文学作品は現在でもしばしば発表されていると思うのね。
全国的に募集している「大阪弁川柳コンテスト」という催しがある。下記は令和元年(2019年)の結果から。「なんなん大賞」ほか、いくつかの入選句を挙げてみる。これもいいが、これからは方言を使った文芸川柳がもっと出てきてほしいと思うのです。いずれ川柳も短歌も俳句も、表現の自由という点で一致することが望ましいと思うのね。

「キャッシュレス そらタダちゃうで おじいちゃん」(吉岡敏郎 様/77歳 東京都)
「十連休 パートのおかん 泣いてはる」(髙橋多美子 様/58歳 北海道)
「やい秋刀魚 せんでええねん ダイエット」(石橋直子 様/77歳 大阪府)
「食べもんを 喰いもんにする 消費税」(西滝一彦 様/73歳 大阪府)
「カジノやて うちらの家計 火事やのに」(西村芳和 様/67歳 滋賀県)
「洋服も 旦那選びも サイトやて」(辻 厚子 様/61歳 京都府)
「お聖はんの 大阪弁が もう聞けん」(綱島榮子 様/72歳 大阪府)
Loading...


















































私も次の句集、来年早々を目処に計画しています。1冊目と2冊目の掲載句が曖昧な為、2冊目の時、別に気にしていなかったけど、これは再掲なのかどうなのか微妙に気になりました。この際、きれいに整理した上で3冊目の句集の句を選べたらなあというはかない希望を持っています。
昌紀さま
同一句をうっかり収載してしまうということは、よくあることだと思います。
自分の眼でなんどもくり返し確かめないと、どうにもならないことよね。
代わりにやってくれる器械も、まだなさそうだし。
でも、いい句ならあまり神経質にならなくてもいいんじゃない?
同一人物から発せられることばは、どうしても色合いが似てくるので。
あきこは、たまたまいくつか被っていてもいいと思っているのよ。
そんなところにちからを注ぐのは時間がもったいないので。
代わりに、くり返し推敲します。
ガンバロ~!!
そうですね。
そんなところにちからを注ぐのは時間がもったいないという言葉に力を得てその方針でいきます。
ありがとうございました。