瓦版の会へのボランティア(笑、しかもお金のかかる)を足かけ十年も続けていたことにわれながら感心している。同人になることを承諾したのは、前田咲二先生に「後継者として来てくれ。あんたのようなふつうの川柳のうまい人に時事川柳を勉強してもらいたいんや。瓦版の会の広告塔になってくれ。交通費も同人費ももつから、来てくれるだけでいい」とまでおっしゃっていただいたことを、もったいなく、ありがたく思ったからである。
「(お申し出の)半額でけっこうです」とお答えしたのね。こころざしにはこころざしで返す、というところがわたしにはある。最近その頃の瓦版柳誌を見ると、お断りし続けていた同人に、なんと平成19年の瓦版11月号でなっている。(前田先生が勝手に新同人として記載していたのね、笑。)
初め頃「(現代表とわたしと)どちらかが跡を継いでくれ」と(三人だけの席で)おっしゃったせいか、現代表はそのあとずっと警戒?していたのかもしれない。もちろん先生の本音は『あきこに継がせたい』だが、それをはっきりと口にだしづらかったのね。「○○(現代表)はあんたにライバル心をもっとる」と先生が言われたことがある。ちなみに、瓦版の会は読売新聞社と関係の深い、六大家の一人岸本水府師創始のブランド(時事川柳専門)結社なのね。一時は(聞き違いでなければ)同人400人だったとも。(柳誌はすべて図書館などに寄贈されて残っているのね。)
前田先生はどなたに対しても上下のない目線でやさしく、ユーモアたっぷり、えらぶったりするようなところが全くなかった。文武両道、超エリートがあつまった海軍兵学校卒で、ライバルという存在がなかったかたなのね。反対に男尊女卑的なところがあるといわれる現代表はどこかひねくれていて、なんと人を恫喝するのね。自分に非があっても謝ることがなく、逆にキレて相手を大声で恫喝するとは、最近よくいわれるモラハラ男そのもの。結局それだけの器なので、“東の横綱”前田咲二先生のおめがねにかなわなかったということなのね。
続きは次々次回
Loading...


















































