種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)-1941年(昭和15年)は自由律俳句の俳人。現在の山口県防府市の生まれ。「層雲」の荻原井泉水門下。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度、耕畝(こうほ)と改名した。本名・種田正一。上の写真は、JR防府駅てんじんぐち(北口)前にあるという種田山頭火像。新型コロナウイルスのことがなければ、今月この像の前に立っていたのね。
山頭火は酒癖により身を持ち崩し、師である井泉水などの援助によって生計を立てていた。「山頭火」とは納音(なっちん)の一つ。「山頭」の定義には「火葬場」も含まれているので、山頭火とは「火葬場の火」とも解釈できる。
山頭火は晩年「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と日記に書いている。10歳の時、母が自宅の井戸に投身自殺。それからの数奇な人生。1939年(昭和14年)愛媛県松山市に移住、「一草庵」を結庵した。1940年(昭和15年) 10月11日、脳溢血のため一草庵で生涯を閉じた。享年59。そこで3年前に吟行(「一草庵 (種田山頭火終焉の地) 吟行20句」、下記)。
一草庵 (種田山頭火終焉の地) 吟行19句(2017/2/17)
出家得度 捨てにゆく捨てきれぬもの
けふも独りの酒注いでいる
静かといえばしずかに穴があいている
母の霊前に日々経たてまつる
行乞(ぎょうこつ)流転(るてん) かぜにまぎれる
酒注げばうつらうつらに春嵐
さまよえば半透明になってくる
四国遍路へ衣鉢(いはつ)をすてる山頭火
海路松山へと死に場所をさがす
着物の尻からげてわたくしの独り
けふの寝床はけふの死に場所
母の位牌背に辿りつく一草庵
さんや袋吊るし世俗を遠くする
けふの死に場所はここかと足袋をぬぐ
分に過ぎると感泣の家
御幸山麓 終の住処をいただきぬ
自らを咬む酒をまた注ぐ
享年五十九 ひそかにかぜが死んでいる
結庵の地のきさらぎを降る
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そうです、防府駅前にこの像があります。
今は外出できませんがいつか吟行に来てくださいね。
「山頭火記念館」も3年ほど前に建てられて今は入場無料となっています。
自由律俳句の勉強会や山頭火講座がたびたび開かれています。(今は館が閉鎖されています)
加代さま
4月は「山頭火吟行」だと思っていたので、コロナ騒動はとても残念。
でも、これを乗り越えないことにはなんともならないし。
もう二か月以上も買い物のほかは閉じこもっています。
みなさんおなじ気持ちで過ごしておられるのだろうと思います。
ただ、少々時間ができたので、『吟行千句』は捗っています。
もう三回目の途中。
どうか、あなたもじゅうぶんお気をつけて。
お姉さま、ほかご家族も。
また、元気でお会いしましょう。