あなたならどう読む?❼‥「難解句鑑賞 №007」
てのひらに水が溢れてくる無明 森田 栄一
「無明(むみょう)」とは仏教用語で、無知のこと。真理に暗いこと、また智慧(ちえ)の光に照らされていない状態。仏教の教えのさまざまな文脈で取り上げられることば。たとえば〈闇〉について。多くの人は〈闇〉は存在すると漠然と考えている。しかし〈闇〉に光が当たると〈闇〉はたちまち消えうせる。〈闇〉がどこか別のところに移動したわけではない。つまり〈闇〉は始めから存在しなかったということである。
精神的な〈苦しみ〉についても同じようにとらえることができる。智慧の光によって〈苦しみ〉はたちまち姿を消す。〈苦しみ〉が何か実体を伴って存在しているわけではないと。実際には無いものを有ると考えるのが、「無明」なのである。
この句は、自身の「無明」によって「てのひらに水が溢れてくる」というように、ありもしないことに囚われてしまっているとでも言うのだろうか。
透明な重なり今日から明日にいる 森下 冬青
「今日から明日」は目に見えない〈時間〉の経過。したがって「透明」と言っている。「今日から明日」へは「重なり」ではなく「繋がり」ではないかと一瞬思ったのだが。思索が「今日」「明日」をなんども行ったり来たりしているということなのだろう。それならやはり「繋がり」ではなく、「重なり」としなければならない。
さむき月蝕 股間にパチリ 蟻うまる 大竹いちろ
「月蝕(月食)」は地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象。天空は寒々とした景。この「蟻」はなにかの暗喩ではなく、実際に這ってきた「蟻」を作者はたまたま目にしたのである。たぶん胡坐をかいていた、その「股間」だろう。目に入った「蟻」の黒い点へ「パチリ」という擬音が効いている。その状況の寒さと、たまたま窓から見えたのかもしれない「月蝕」の寒さ。孤独感が切々とつたわる句。
あきらめていない私の中の青 勝又 恭子
この句は、負のイメージの「青」がこころに在ると言っている。憂鬱といったあたりの軽い「青」。寂しさや孤独感の「青」かも知れないが、底は浅いようだ。いまはネガティブな感情にこころを乗っ取られているが、もともとは健やかな精神の持ち主。自身のこころのどこかからの『大丈夫』という声も同時に聴いているのである。「私」の「青」は「あきらめていない」のだ。〝こころ色〟を寒色から暖色に変える意志の強さまでを感じさせる一句。
ポイズンの毒をゆっくり抜いてます 佐々木彩乃
「ポイズン」は、「毒」を意味する英語「poison」。思いつくのはアメリカ合衆国のロックバンド「ポイズン」や赤川次郎の小説『毒〈ポイズン〉』。トッド・ヘインズ監督の1991年の映画『ポイズン』もある。ひょっとすると、〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜の、反町隆史の楽曲『ポイズン』か。この句は、それらのうちのいずれかに影響を受けかつ心酔して残った頭の中の「毒」を、いまは少しずつ「抜いて」いるところだとでも言っているのだろう。
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ポイズンの毒をゆっくり抜いてます 佐々木彩乃
難解句の難解句たるゆえんなんでしょうが、
毒の毒を…
う~ん
昌紀さま
お久しぶりです~。
そちらの句会のお題を聞こうと思っていたのね。
新型コロナウイルスのことがあるので、今月の句会は無理でしょうが。
昨年行けなかったので、今年こそまいります。
ところで。
句会がないので少々時間があり、『川柳作家ベストコレクション 井丸昌紀』を先日読んだのね。(なかなか時間がなくて、やっと今なのね)
そのうち、アップしますので、よろしく。
『前田咲二の川柳と独白』がやっと出来上がり、本日自宅に20冊届きました。
感無量、といったところ。(; ;∀;;)
新型コロナウイルスには十分に気を付けて。
そちらの句会ができるようになれば、お題をお知らせください。
4月句会は休会で、5月もちょっと難しいかなあと思っています。
再開したらお知らせします。
昌紀さま
了解しました。
おたがいに感染には気を付けて、なんとか乗り越えたいものですね。