人生の目的は何かと問われたら、幸福を得ること、というのが答えだろう。これには賛同してくださる方も多いと思う。では、幸福な人生とはどんな人生か。自分を生きている、自分の人生を生きているという実感があることが、幸福な豊かな人生なのである。いまこの瞬間が満ちているという感じが、一日、一週間、ひと月のうちにどれほどあるか。これがその人の幸福度をはかる物差しではないかと思う。
座禅や瞑想で呼吸に集中していると、その他のことが頭から徐々に消えていく。こころに静寂がうまれ、穏やかな豊かさが身のうちに広がってくる。座禅や瞑想がながく受け継がれてきたのは意味のあることなのだ。自分を見つめることは生きている実感を得ることにつながる。生きている実感とは、どこからくるものなのだろうか。それを喪失している人が多いように見えるのは間違いだろうか。かく言う私もかつてはその一人だったのだ。
同じ格好で同じ電車に乗り込み、あるいはマイカーで同じ職場へ通勤する。現在ルーティンワークはITに置き換わり、どちらかと言えば仕事はクリエイティブな方向に向かっているように思える。これは人間の幸福にとってはよいことだと思う。だが近年のIT化が急速だったため、人によって順応度合が異なるようにも思える。人によっては生きづらい社会になっているような気もするのである。
どうすればクリエイティブな生きがいのある生活ができるのかを考えてみる時がきているのかもしれない。クリエイティブを強調するのは、クリエイティビティ(創造性)こそが生きている実感を得させてくれるものだと思うからである。お仕着せではなく自分がやりたいことをやる、それだけで違った人生になってくる。やらねばならないを、みずからやっているという自覚でとらえ直すということもたいせつだとは思うが、それでも納得いかない場合があるかもしれない。そのときはながれに身を任せるのもいいが、あがいてみるのも悪くない。
結局はやりたいように、好きにするのがいいのである。わたしの〈余白〉にクリエイティブな生きがいを追求できる川柳があったことは、ほんとうにありがたいことだった。〈余白〉は、現役社会人の頃から用意することもできる。否、用意すべきなのである。(写真:あらゆる思惟のみなもととなり得るような伊勢神宮・五十鈴川。この清流をながめながらの作句が最高)
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