流木のあかるさ 捨ててきたらしい
慣れ親しんだモノや関係を捨てることはむずかしい。「断捨離」ということばがかつて注目されたことがある。モノや関係など、とくに必要でないものや多すぎるものを断ち、捨て、離れること。身の回りの整理は心の整理にもつながる。生き方を見直してみようということだったと思っている。仏教においても「煩悩を断ずる」、「喜捨(布施)する」、「執着を離れる」などといわれる。
「捨」は大切なこころのあり方の一つだろう。自分の身体をほかの生き物に与える究極の「捨身」もある。先月の吟行先・法隆寺の国宝玉虫厨子には「捨身飼虎図」が描かれていた。一般的には、捨てることによってこころが豊かになるということ。
浜に打ち上げられた「流木」の洗われ切った素(す)の姿には、どこか感動させるものがある。不要なものを捨て去った「あかるさ」、素の姿に我われに呼びかける〈たましい〉の声が宿るのかもしれない。
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わたくし事で恐縮ですが、五七五は75歳からの手習い(独学)で初め、紙上
投句しか経験がありません。最近は感性の足りなさを痛感しながら、四苦八苦
の作句が続いていますが、続けることに意義があると思い、日記代わりに作句
は続けています。
御句を例えば句会で音読する場合、「流木の(五)あかるさ捨てて(七)きた
らしい(五)」と読むより、「流木のあかるさ(九)捨ててきたらしい(八)」
と読むほうが良いと思うのですが。
幼稚な質問をしてすみません。ご教示くだされば幸甚です。
前川奬 拝
前川奬さま
>「流木のあかるさ(九)捨ててきたらしい(八)」
と読むほうが良いと思うのですが
その通りです。
披講のときは、一字空けすればそのように読んでいただけると思います。
ただ、いろんな句会があるので。
一字空けがどこでも許されるわけではないのね~。 ナイ(*^^;)ノネ~
追伸
先ほどのメールで一部字の変換違いがありました。
「・・で初め」は「・・で始め」に訂正します。
前川奬