川柳マガジン3月号(2013年)は川柳瓦版の会会長前田咲二特集。「柳豪のひとしずく」シリーズの中に入っている。(早くに新葉館出版さんから依頼されていたのに、やっと先生が承諾されたのね) 2月6日の句会に、大阪市中央公会堂内にて撮られた写真が表紙を飾っている。「頭」で作らず「心」で詠む、ということを常に仰った。下記は会長の句と、エッセイ、川柳論の抜粋。
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切っ先をいつも自分に向けている
わたくしの干潟が満ちるまで遊ぶ
行方不明の刻を聚(あつ)めている夕日
水の底を水が流れている輪廻
ヒロシマの焦土を踏んだ足のうら
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(エッセイ)
五省というもの
1、至誠に悖(もと)るなかりしか
1、言行に恥づるなかりしか
1、気力に缺(か)くるなかりしか
1、努力に憾(うら)みなかりしか
1、不精に亘(わた)るなかりしか
終戦の時、私は広島県江田島の海軍兵学校というところにいた。海軍将校の育成学校である。毎晩、自習時間が終わると、この五省を唱和し、今日いちにちの自分の言動を反省したものである。
なんでそんな古いことを持ち出したかというと、以前に、知人から、身内に大学受験生がいて、勉強部屋にこの「五省」を貼っているとの話を聞いたからである。私は嬉しかった。七十年前、お国のために身命を擲って訓練に励んだ少年兵と、いま、平和な世の中にあって、五省を念じながら勉強にいそしむ若者とが一つに重なって、まだまだ日本は大丈夫との思いを深くした。
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(川柳論)
選者の大切さ
俳句に比べて川柳のいいところは、柳社間の交流がさかんなところである。隣の、そのまた隣の県にまで足を運んで句会に出席する。
ところが、「今日の選者はどうも」という声を耳にする。自信を持って作った句が没になったというのだ。選者はベテランで選句眼のしっかりした人ばかりとは限らない。柳社によっては会員の中から予め順番に選者を割り当てているところがある。そうしないと会員を辞めてしまうからだ。
悪貨は良貨を駆逐する。かくしてだんだん川柳をつまらないものにしてしまう。
選者の問題は、ひとり小集の句会に限ったことではない。権威ある大会でも首を傾げるような選者の名前を目にすることがある。川柳を盛んにするのも駄目にするのも一に選者と、その選者を選んだ団体(結社)に責めがあることを心に銘ずべきである。
初代・柄井川柳は、一回の寄句(応募句)の数が二万五千句を超え、立机から没年までの三十三年間に約二六〇万句の寄句があったという。それも、卓越した選句眼と温和な人柄、公平な選句態度が投句者の人気を集めたからにほかならない。
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あきこがいろいろと書くより、咲二先生の文章がすべてを語っていますよね。
続きは、明日
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おおっ!、この建築物は大正期に建てられたものですね。
東京駅風の立派な建築物。
辰野金吾氏の設計でしょうか?
ブログの続きを楽しみにしております。
江畑 哲男さま
建築物のことについては、よく分からないのね。m(__)m
先生は自慢しない方だったので。
どなたに対しても、公平なのね~。
学業他優秀で、ライバルを終生持たなかったのではないかな。
でも、江田島海軍兵学校出身(最後の卒業生、戦争には行っておられません)であることを誇りにしておられました。
明日あたり、直接伺ったことを書いてみます。
書いておかないと、忘れるものね~。 ウーン(~~)ドウダッタッケ?
立派な赤レンガですね。イギリス人の建築家の設計によるものらしいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
咲二さんは私の記憶に間違いがなければ、大正十五年(昭和元年)生まれ、六十五歳で亡くなった父と同じで、食道癌も同じ。父の影を感じます。
咲二さんと出会う前に亡くなられた私の最初の師 橘高薫風も、大正十五年(昭和元年)生まれ。こうなると因縁めいたものを感じてしまいます。
既に鬼籍に入ってしまった父が、お前は川柳をしなさいと導いてくれたのかもしれません。
昌紀さま
じつは、うちの亡父も大正十五年。
橘高薫風さんと(たぶん)同じ病で、平成十六年三月に亡くなりました。
前田先生は、やはり同時代ということで、考え方に共通するものがあったと思います。
縁があるのかも。 カモ(*^^)vネ~