9月27日に咲二先生は逝かれたという。いつ電話をいただいてもいいようになるべく自宅にいたのだが。9月4日の夜電話をいただいてから先生の病状はどう変わったのか。そのとき患部に痛みがない、というお話がわたしを楽にしてくれた。また息子さんの先生への孝行ぶりにも、伺って安心させていただいた。
自宅療養ということで、先生の状況が分からないだけに、こちらからの電話は控えさせていただいていた。27日も、29日から川柳行脚に出かけることをいつものようにお伝えしたいと思っていたのだ。その日が先生の命日になるとは。家族葬にされるということは、ずいぶん前から伺っていた。今回の、二週間後に新聞社を通して発表ということも、先生のお考えに違いない。
先生は「新聞の選を通じて投句者のみなさんと(こころの)会話をするのが楽しい」と仰っていた。投句者数も大幅に伸び、川柳の横綱とたたえられた先生の句作・選における技量を紙面に余すところなく咲かせたといえる。(註 入選句には選者の添削が入ることがあります)
きみの訃へ灯さぬ闇が醒めている
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あきこさん、大丈夫ですか
びっくりしています。
豊橋番傘の先輩に、田辺聖子著「でんでん太鼓」のなかで1句載せてもらった槇紫光さんという人がいて、紫光さんが亡くなられた時に、豊橋番傘初代会長の鈴木如仙さんが、家族から作句帳をお借りして、確か3人くらいで手分けして整理し「遺作集ゴビの砂漠」を作って差し上げました。3人の中の1人だったのでA4版の大学ノートを記念に1冊いただいたことを思い出しています。今、「ゴビの砂漠」を開くと平成6年2月21日発行とあります。
咲二大先輩の句集のこと、叶わぬことではないような気がします。
もう、幻四郎さんにも会われ、あれからの報告も終わっているんでしょうね。
あきこさんが元気にならないと咲二さんがあの世でのんびりできませんよ。元気出してというのは酷かも知れませんが…食べるもの食べられてる? 咲二さんは自由な身になって、あきこさんの側で見守ってくれています、元気だしてね。
あきこさん、何度もごめんなさい、「遺作集ゴビの砂漠」は1年後に発行しました。だから、ゆっくりゆっくり…ね。
鈴木 順子さま
句集を出す話は、あきこからもなんども頼んだのですが。
結局首を縦に振られることはなかったのね。
その理由は、やはりご自分の句に対していっそう厳しい眼があったからだと思います。
句にも文章にも厳しかったのね、分かっておられるだけに。
ご自分に対していちばん厳しかった。
新聞の読者にも選者の力量がなんとなく分かるので、「よみうり時事川柳」も投句者が多かったということでしょう。
先生のご遺志にそむくことはしたくないのですが、なんとか先生の句集だけは遺したいと思うのね。
横綱の句集がないなんて、ほかの文芸では考えられないことですから。
長文のコメント、ありがとうございました。感謝。
そうですね。
咲じぃ~の句集は、絶対出さんとあきまへん。
まず、各地の句会での入選句をリストアップすること。膨大な量になるでしょうねぇ。
その中から、句集に収める句を選ぶこと。これをできる人はいてるでしょうか?
途方もない大事業になるでしょうが、松岡さんに相談しましょうね。(頼りましょうね)
微力ながらお手伝いさせていただきます。
昌紀さま
そうよね。
ご家族は出すように言っておられたらしいのね。
息子さんも孝行な方らしいから。
すべて、詠まれた句は発表誌を保存しているということなので。
句のリストアップは新葉館さんに持ち込めばしてくださいます。
句を選ぶのは、あきこがやります。
遺さないと、消えてしまいます。
あれだけ活躍された先生を、遺さなくてはいけません。川柳界のためにも。
前田咲二前会長の訃報に接し非常に残念な気持ちです。
瓦版の二次会でも気さくに話して頂きました。
今年の5月に拙吟集「風が吹いたら時事川柳」を一方的に
お送りしたままでした。もう一度お会いしてお言葉を
頂きたかったと思います。 ご冥福をお祈りいたします。
竹永 広義さま
お久しぶり~。
温厚でやさしい、立派な大先生でした。
句や文章については当然ながら厳しいところがありましたが、あとはニコニコと大抵のことは見守っておられるような先生でした。
十年間大切にしていただいたこと、冗談の好きな先生との楽しかった会話など、一生忘れません。
吟行で忙しいわけですが、先生の大切にしてこられた会のことは気にかかっています。
最後まで、先生も瓦版のこれからを心配しておられました。
編集同人、いろいろとお忙しいと思いますが。
あなたも健康に気を付けてがんばってくださいね。