亡くなられた尾藤三柳先生のことをずっと思っている。ご病気と伺ってから、お会いしておこうと東京(柳多留250年 呉陵軒可有を偲ぶ…)まで出向いたのだが、先生のお話のあとご挨拶しようと思ったが、会場の隅で、車椅子だったのでご遠慮。車椅子の後ろから先生の姿を眺めさせていただいたのが最後となった。それからも先生のご動向に気を付けていたが、その後もう一回あった(お話を聴かせていただく)機会は逸した。(写真:第38回 川柳公論表彰句会にて。夜行バスを降りて、近くの喫茶店で集中して作句してから会場に来たばかりなので、まだ身なりを整えていません)
ぼんやりと考えていると、川柳公論表彰句会で何度かお目にかかったときのことなどが思い出されてくる。
「(「川柳神髄」を)持っていないの? 送ろうか?(送ってあげようか?、だったかも)」
「いえ。それは(うちの)会長が、(あとで)私にくれるとおっしゃっているので」
「(話が弾んで)先生。申し訳ないけれど、まだ(当日の句会に出す)句を作っていないので」
「まだ作っていないの? 駄目じゃないの、作らないと」
その後、住所を調べて下さったのか、新著『完全版 時事川柳』をご恵送いただいたことに深く感謝している。
掲出の2句《いのちの知恵より新鮮な音が欲し》と《煙と一緒に痛み消えゆく》は先生の最後の句。何度も考えてみるが、後の句はともかく前の句が分からない。息子の一泉氏がいずれ書いて下さると思っている。意識がもうろうとなる中での句だろう。「新鮮な音」とは何のどんな音だったのか。
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