5日。ホテル(コンフォートホテル呉)を出てJR呉駅まで。3日に海軍兵学校跡地を訪ねたが、最終の見学時間に遅れてしまったので予定が狂った。本日5日は大阪で瓦版句会。準備の時間も要り、もう一度フェリーで江田島に渡るというわけにもいかず、電車に。台風が近づいているらしく、雨。呉→海田市→糸崎→岡山→相生→姫路→大阪。約6時間ほど。地下鉄御堂筋線で淀屋橋まで。カフェベローチェにてミックスサンドとマンゴーフロート(?)の遅い昼食。昨晩ホテル到着後1Fで詠んだ時事吟ほかを推敲。17時頃、互選用に54枚をコピー、公会堂まで。いつも通り句会準備ほか。受付。記名係。
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[川柳瓦版の会 9月句会] 出席51名。欠席投句??名。
本日の入選句。
時事吟
高値の苦みが舌に刺さってくるサンマ
ガラケーのガラの意味さえ分からない
クーラーの部屋で木の忍耐思う
ひまわり枯れてひと夏の恋痣になる
幽霊でも呼ばねば凌げない酷暑 (互選 6点?)
課題吟
南シナ海あたりドカンの種がある
ときどきは私を撃ちにくるわたし
本日の没句
グリーンカーテンのゴーヤがくれる涼
図書館へ通うわたしの消夏法
妻のヘイトスピーチいつもぼくに向く
軍拡の海へはなしを熱くする
コトバの銃弾がわたしに開ける穴
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台風の影響が心配なので、本日ミュンヘンでの懇親会は取りやめ。泊りがけでご出席のおさ虫さんほか、7名で地下のドトールにて歓談。気が付くと21時50分。雨の中、傘をさして自転車で帰宅。24時。
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たけはらの後、呉泊りとは聞いていましたが、江田島の兵学校へ行かれたのですね。私の父は昭和7~8年、戦艦伊勢から、兵学校に配属されていましたので、私は江田島の海軍官舎で、生を受けました。戦後何回か尋ねたことがあります。よい句ができたでしょうか。私の父は、筑前琵琶の、名取りだったのでよく上官の家に呼ばれていたと、母が言っていました。
野村 賢悟さま
あの時代を真摯に生きた兵学校生徒のつもりで詠んでこようと思います。
先日の吟行では、跡地とはいえ現在も使われているので、自由に出入りできないことをもっと事前に考えておくべきでした。
次回は10月ごろに出かけて、呉で2泊することに。
今回欲張って3日で2句会と吟行では、無理でした。
うちの会長が海軍兵学校の最後の卒業生(75期)なので、併せて話を伺っております。
筑前琵琶とは、すばらしいですね。
文武両道のお父様だったのでしょうか。
江田島をしっかり歩いて、できれば大鷹山にも登りたいですね(無理かな~)。
ではまた。 (*^^*)
古鷹山と言えば、うちの父がが、訓練で一番つらかったのが、古鷹山への行軍だったと言っていたと母親から聞かされたいます。会長さんが兵学校の最後の卒業生なのだそうですね。うちの父は、矢矧乗船中を、昭和7年11月15日に、依命海軍兵学校に転勤を命ずと記され、昭和9.5.6、伊勢に転勤を命ず(知床便乗)と記され、昭和10.11.6、上海海軍特別陸戦隊附兼第三艦隊司令部附を命ず。となっています。その時の階級が海軍機関一等兵曹でした。父が江田島へ転勤したのは、実習教官だったようです。
野村 賢悟さま
海軍兵学校では一号生徒のときに終戦と伺っています。
6日、広島に落とされた原爆の雲を見られたそうです。翌日にはそれが原爆であると教官に教えられたそうですから、情報が一足早く入ったのでしょうね。
25日に小用港から宇品港まで行って、広島駅まで焦土を歩き、無蓋車で帰ってこられたそうです。
卒業証書はのちに県庁に集合させられて退職金500円とともに受け取ったということです。
二号生徒、三号生徒は卒業証書がないので、あらためてどこかの大学に入り直したのではないでしょうか。
海軍兵学校では英語も教えていたので、その点あらためて入学試験を受ける人には喜ばれたそうです。
いろいろと関係者に当時のことをお聞きして書き留めておくことが大切だと思いますね。
10月の吟行になりますので、それまで資料を読んでよく理解したいと思います。
大鷹山ではなく、古鷹山でしたね~。会長よりこちらの方がボケております。 アハ(^◇^)ハハ~