この新葉館ブログでは、みだりにどなたかの句を載せてあれこれと批評することはできない。句には当然ながら作者がおられるので、(新葉館出版さんの立場もあり)忌憚なく批評させていただこうと思えば、少なくとも作者と出版社の了解を得なければならない。
そういうことで、句を例に挙げられないことで書き辛い「川柳的切り口」だが、瓦版編集同人の茶助氏が、本人の句かどうかは知らないがたまたま革新系の一句を(本ブログのコメント欄に)提示して下さったので、その句について感じたことを些か書いてみる(作者の方、お許しを)。コメントの内容そのままを提示。句の「読み」の(試みの一つとして)ご参考まで。上記の理由で書き辛い「川柳的切り口」に代えて。
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たむら あきこon 2015年3月28日 at 10:33 PM
茶助さま
>『鉄棒になって蕩児が帰還する』
知りまへんがな~。
「蕩児が帰還」はまあいいとしても。「鉄棒になって」では勧善懲悪(道徳)を詠んでいることになりまへんかいな?(突然ナニワの女あきこ)
蕩児はそう簡単に鉄棒にならないし、なっても面白くもなんともない。鉄棒になるなどと面白くもないことを川柳には書かなくてもよいのね。
道楽息子は道楽をきわめればよいので、鉄棒になるなどとヘタな勧善懲悪を言わずに、例えば「こんにゃくになって」ほどのことを言ったほうがよっぽど「川柳的切り口」が冴えているということになります(「こんにゃく」がいいというわけではない)。
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「切れる散髪屋」
頭を刈る散髪屋が「頭で刈る」と申しております。
こういう散髪屋は”理髪店”と呼んであげてください。
ヾ(´▽`*)ゝあーい♪
茶助さま
にゃるほど。だから「理」髪店なんかい~。(+o+)
と、まあそれは措いて。
ただいま天守閣句会から帰ってきたところ(ちょっと疲れた~)。
で、それをアップするのを優先させたいので、「川柳的切り口」はちょっとお預けね。
ところで、これからのにゃんの夢を少し。それはですね、「柳話」で川柳の魅力をみなさまに語りかけながら、熱く全国を回りたいのです。もちろん大会参加、吟行を兼ねて。
9月の富山県川柳大会の「柳話」を手始めに。まずは、富山のみなさまに喜んでいただけるように準備万端怠りなく、といったところ。さて夢は叶うか? ユメp(*‘∀‘)ノ~~~ナンデス