生前どれだけ活躍した人であっても、長い歴史に名を留めることはむずかしい。荒木田守武は俳諧の祖としての名前だけしか知らなかったが、たまたま宿泊の神宮会館の近くに句碑があることを案内絵地図で見て、関心をもつに至った。俳諧の祖ということは川柳の祖でもあるわけだから、句碑を見たいと思っていた。
荒木田 守武(あらきだ もりたけ、文明5年(1473年) – 天文18年8月8日(1549年8月30日))は、戦国時代の伊勢神宮祠官・連歌師。荒木田一門薗田氏の出身。山崎宗鑑とともに俳諧の祖とも言われている。
1541年(天文10年)一禰宜となる。山﨑宗鑑から連歌を学び、「新撰菟玖波集」に入集されたものをはじめ、1508年(永正5年)の「法楽発句集」などの連歌集、1530年(享禄3年)の「独吟百韻」1540年(天文9年)の「守武千句」などの俳諧集、1525年(大永5年)の教訓歌集「世中百首」などがある。(Wikipedia)
5日。9時半頃、神宮会館の横から神宮バラ園のほうに坂道を上がる。バラ園は開いていなかった。中の荒木田守武句碑の位置を確かめてから、神宮相撲場の横を通って神宮会館内のエレベーターで降りる。西館1Fまで。フロアから直接バラ園に出られるようになっている。バラ園の囲いに入ると、隅に句碑。
《元日や神代のことも思はるる》(守武)。
エレベーターで神宮会館本館1Fまで。ソファ席にて休憩。荷物を預けて、昼食に「とうふ屋」まで。更に「魚福」で焼ガキ2個。御幸道路を渡って西へ。少し歩くと、歩道のすぐ右横に墓地。入っていくと荒木田守武墓碑。墓地なので、さすがに写真に撮るのはやめておいた。
再び神宮会館1Fにて休憩後、守武が住んでいた辺りにあるという碑を見に行く。
この碑の横に立つと、バラ園の句碑や墓碑とともに、ごく近くに神宮会館を囲むように三角形に点在していることが分かる。守武の伊勢神宮祀官として貫いた一生、俳諧に遊んだ一生がまざまざと見えてくる。
なんとも理想的な人生ではないだろうか。神宮禰宜である私の畏友も、この地にすでに墓も建てたと言っておられた。文筆に長けておられるので、守武の人生とも少し被る。私は川柳の旅を通じて、いま守武に出会っている。今度お会いしたときには、俳祖荒木田守武の話ができるように、少し勉強しておこうと思っている。
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「ゆっくりいこうぜ~!」 使わせてもらいました。
活字を見ない日常の爽やかさ
健康のために活字を見ない日を作りましょう。
∃ヨヨョョ。+゚(ノД`)゚+。ョョヨヨ∃
茶助さま
それよ、それよ、それなのよ!
このままでは、あきこの目もエライことに。大切な瓦版の清記の仕事などのためにも、これ以上目を悪くしないようにがんばります。(T0T)
とにかく目が疲れたら、横になって目を瞑っています。(そのうちに寝てしまっちゃうのよね…)