これからしばらく時事川柳専門結社「川柳瓦版の会」の川柳について触れてみたい。
現会長 前田咲二(まえださくじ)氏 は、読売新聞の「気流」欄横「よみうり時事川柳」の選者としてつとに高名、お馴染み。
7月号瓦版誌の巻頭言に尾藤三柳氏の柳論を紹介しておられるので、そのままを記させていただく。(写真は瓦版の洒脱な「仙人」、咲二会長)
(川柳瓦版の会編集同人 たむらあきこ)
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川柳マガジン誌23年11月号に、尾藤三柳氏が「川柳の現在と将来」と題して時事川柳に触れている。時事川柳作家には必見の柳論である。次に要旨を紹介する。
(前略)時事川柳が独立ジャンルへの道を見出したのは、昭和25年、読売新聞が、時の第1人者・川上三太郎を選者に立てて、連日掲載の「よみうり時事川柳」欄を、第1面に新設したことを契機としている。以後時事川柳は1つのジャンルと見做され、専門作家が生れ、独自の文芸理論を深めていった。やがては、既成川柳の牙城を揺るがし、川柳界の中心に座るであろうと想像される。両者を比較し、その理由を述べる。
○既成川柳の題材が繰り返しに陥って、意匠の取替えだけに活路を見出しているのに対し、時事的題材は日々生れ出て、常に新しい。
○既成川柳が技術的に歩留まりとなり、千篇一律化しているのに対し、時事川柳には独自に開発した批評と諷刺の方法論がある。
○既成川柳は目標を持たないが、時事川柳には常に現状を変えようとする使命感がある。
○既成川柳の曖昧な在り方に対し、時事川柳作家には最小限度の作家意識がある。
○程度の差こそあれ、既成作家が「伝統」にあぐらをかいているのに対し、時事作家は常に挑戦者であることを忘れない。 (以下略)
-前田 咲二
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『君が代も二百十日は荒れにけり』
さてここで、私の方から「時事川柳」に関してひとくさり。
「新川柳」の原点は、時事川柳である。そして、時事川柳は、その呼称で明治35年に始まっています。
上の句は、明治35年”正岡子規”の時事川柳作品で、意味は、
[君が代]とは、新聞・[日本]の事で、210日頃の時期に、新聞「日本」が、発刊停止を命ぜられたことを子規が、詠んだものです。
この一件に反発した”古嶋一雄”が政治批判を「時事俳句」でやる決心をしたのが時事川柳の初めといわれています。そこで抜擢されたのが
久良岐(明治35年3月)と、井上剣花坊(明治36年7月)でした。しかし、古嶋一雄の望みと期待した二人の時事川柳欄を創設したものの、結果的には、二人とも古嶋一雄の期待に沿うことは出来ませんでした。
しかし、これをきっかけに、久良岐の「電報新聞」に川柳欄が出来、
さらに「日本」を追従して、東京の新聞はこぞって剣花坊の新川柳欄を開設したのです。
こうした二人の活動によって、『川柳作家の発言の場』である新聞、雑誌、機関誌の投句欄や、結社が急増したのです。
すなわち、川柳を目指す人は基本的な時事川柳を詠まない、また
詠めない人は、川柳家として、”のびしろがない”と言えるかも知れません。蛇足ですが古川柳でも大半は、時事風景を詠ったものです。
りょーみさすけさま
時事川柳を詠まない人は川柳作家として「のびしろが無い」。同感。
「古川柳でも大半は時事風景」ですもんねー。
川柳作家たる者「私」の川柳もいいけれど、時事川柳と両方詠むことはアタリマエなのじゃないかと。
東京の「川柳公論」の大会に初めて行かせていただいたとき、三柳先生に「(あなたは)時事川柳を詠んでいる? 時事も詠まないと駄目だよ」と言われたんですよねー(泣)。(先生、にゃんが瓦版同人とは知らなかったもんね)
このブログを読んで下さっているみなさまはどう考えておられるかしら?