まず目を通したのは、やはり尾藤三柳先生の選後感想。川柳家としての良心が滲み出ている、と読ませていただいた。正直に申し上げて、今回私の結果が尾藤選の1位(今回は秀逸1)に入らなかったことをまず残念に思っている。過去6回の川柳マガジン文学賞では1位を3回、2位を1回、3位を1回と、圧倒的に作品を上位に採っていただいていたからである。
率直に申し上げて、過去の他の方の入選作品を拝見していても、尾藤選がもっとも文芸性の高い川柳を、確実な選句眼で採っておられると(私は)思っている。川柳が短歌や俳句の下につくものとされることを厭(いと)うならば、先生の選に入ることをまず目標としなければならない(と思う)。
尾藤先生が川柳の行く末を心配し、また寂しく思っておられるのではないかと心が痛む。川柳マガジン文学賞を私たち柳人が新葉館出版とともにチカラを合わせて育てていかなければならない。そのためにもこの先どの方に選者になっていただくかについても、じっくりと考えていかなければならないだろう。
残念なことを一つ挙げる。尾藤選が第1位、第2位、第3位を該当者なしとしておられるため、実質的に第1位とされた遠藤ゆかし氏の秀逸1の作品が読めない。秀逸3の平尾正人氏の作品は新家選の3位に入っているため、辛うじて鑑賞できた。全国の柳人みなさまの参考にもなることなので、是非どういう作品を尾藤先生が第1位(秀逸1)に採られたかを知りたいところである。
下記は、切々たる尾藤先生の「選後感想」全文。
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【選後感想】選者は与えられた対価対象の水準が高い低いにかかわらず、集句中での相対的価値判断によって、定められた入選句数を満たすべきであるという考えは、句会のような娯しみの場で、参加者をいたずらに興醒めさせても意味がないからで、また選者がどんな句を採ったところで、誰に迷惑がかかるわけではないし、それによって川柳そのものの価値が云々されるわけでもないからである。
だが、仮にも、「文学」の名がついたら、そうはいかない。作品同士の相対的価値以前に、まず「文学」と呼ぶにふさわしい資格をそなえているかいないか、つまり基準がはっきりしたわけだから、作品レベルに関係なく恣意的に決められた位付けや採用句数のワクが、にわかに問題になってくる。
経緯を記すと長くなるので省くが、位付けも句数もご覧のような結果になった。それでも「人間は」とか「世の中は」とか生悟り口調や理屈一概の嫌みが避けられなかったのは、それを外したら採る句が無くなってしまうからだ。概して日本語が浮いている。
1点句24章、3点句と見做してもよかろうと思う句8章、これが限界ぎりぎり。諸賢、願わくば諒とせられよ。(尾藤三柳)
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