父の没後、十年を超えてお供えを届けて下さる女性がお二人。父が講師を依頼されていた「国文学の集い」のお世話をしておられた方々。お彼岸、お盆と殆ど欠かすことなくいただいている。あまりに申し訳ないので、
「今までのお志に対して、これからは私の方から(贈り物を)させていただきます」と申し上げるのだが、
「(先生には)本当にお世話になった。いろいろと、教えていただいたことがいっぱい。こちらの気持ちでさせていただいているのだから、お嬢ちゃんは気を遣わないで」と。
お二人は父とほぼ同年配、もうすぐ卒寿を迎えられるという方々。
お礼の電話でしかお話しすることもないのだが、電話させていただくたびに、この年代の方々の心延(ば)えともいうべきものに心を打たれる。
いつも変わらぬ感謝のことばを伺いながら、恐縮するとともに、熱いものがこみ上げてくる。こちらも涙であるが、電話の向こうでも涙を流してくださっていることが何となく分かる。お一人は、
「お会いするのは、もう恥ずかしいのよ。すっかりおばあさんになってしまって」と。
お二人ともご家族と一緒に暮らしておられるので安心だが。一度三人で会食の場を設けさせていただきたいとは申し上げている。
先輩柳人の中でも、この年代は男性女性ともに尊敬すべきものを備えておられる方々が多い。少し昔の日本人の、ひと言でいうなら一本筋の通った品格といったようなものである。
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『名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな』
さてもさても、あきニャンの父上の業績の大きさと、素晴しい人柄の方であった事が、この老人の心ばえに思い測ることができます。老人は一年に一回でも、こういうことをするのが嬉しいのでしょう。
(たまにはオレも良いこと書くね)
茶助さま
いま実家から帰ったところ。13日はお坊さんのお参りの日と決まっているので、編集会は休むつもりでしたが、整理・分類を終えた句箋を届けないといけないので、15時半くらいの特急で行きます。
では、のちほど。
仏壇に早々に帰るお詫びを言ってきました。
「瓦版の編集会に行くからね。ごめんよ」って。
「来たところなのに、仕方がないな」と遺影が答えていました。