句集(川柳)の幸せとは、分かっていただける方の手もとに置かれること。句の良し悪しの判断も覚束ない方の手もとにあっても、句集が寂しがる。そういう意味で、川柳のよき読者はまず柳人と言うことができる。
差し上げるのもよいが、買っていただく方が大切にして下さると言う方がおられる。少なくとも買い求めようとされる方には、その句集と作者への思い入れの些(いささ)かは必ずあるはずだからと。
柳人は、私の見る限りあまり他人の句集を読もうとはしない。一般の人であれば尚更だろう。それでも我われは飽くことなく詠み続ける。川柳に魅入られていることもあるし、自己表出のフィールドとして575の定型になれ親しんでいるからでもある。句を詠むのは基本的に切なく孤独な営み。生まれ出た句が僅(わず)かであっても誰かの心に届くことを願っている。(写真:板垣孝志氏の句集『悔い』)
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私の場合川柳を作ることによりなにかを発散しています。
苦しい時はそのままに嬉しいときもそのままに。あとで見ると日記になりその時の気持ちを思い出します。(私の川柳の効用)
加代さま
まったくその通りですよね。
みんな同じですよ、多分。
「何かを発散」「あとで見ると日記」。結局いまを生きている証を刻んでいるのね。
悲しみや怒りという負の感情も、川柳というかたちに昇華させることで癒されていると思います。
川柳にはずいぶん助けてもらっています。
こんばんは(^^)
私も大賛成\(^O^)/です。
ですから今まで川柳を続けてこれました(^^)
「昇華」大好きな言葉です(^^)
川柳を始めてから数年後に「昇華」を感じました。それから私は自分を救うものは川柳しか無いと思い、他人を救うのも川柳であるかもしれないと、知り合いになった方々全員に一度は必ず川柳をすすめています(^^)
伊東志乃さま
いま編集会から帰りました。
会長が無事に帰宅されていることを電話で確認したところ。(^^)
この方と思う知人には是非とも川柳をすすめたいですよね。川柳はそれだけの価値のある文芸。
定年後何をして余白を埋めていこうかと考えておられる方に、まずおすすめしたいと思います。