下記は本日和歌山文化協会文芸部総会にていただいた『和歌山文化』誌掲載の拙文。
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川柳を読む
川柳は人間を謳(うた)う文芸である。世俗的なことばかりを面白可笑しく詠むものと誤解しないで欲しい。喜怒哀楽のいずれであってもよいのだが、そこに文芸としての品格がなくてはならない。一時代の狂句(きょうく)に戻ってしまってはならない。
次は川柳六大家の一人に挙げられる川上三太郎(かわかみ・さんたろう)の作品。
孤独地蔵
孤独地蔵花ちりぬるを手に受けず
孤独地蔵誰がかぶせた子の帽子
孤独地蔵お玉じやくしが梵字書く
孤独地蔵悲劇喜劇に涸れはてし
孤独地蔵うつつに見つむ日ぐれがた
孤独地蔵月したたりてなみだするか
孤独地蔵いよいよひとり歩むべし
川柳とは何かを語るより作品が雄弁。
文芸川柳は短歌や俳句の下につくものではない。川上三太郎は1891年生まれの川柳家だが、「孤独地蔵」には現代を生きる私たちの心をも惹きつけるものがある。
次は同じく六大家の一人麻生路郎(あそう・じろう)の作品。
俺に似よ俺に似るなと子を思ひ
寝転べば疂一帖ふさぐのみ
二階を降りてどこへ行く身ぞ
先の「孤独地蔵」と同じく、すでに古典ともいうべき作品。最初の句からは親の情の機微が読み取れる。
現代川柳。現在活躍中の大家と言われるお二方の作品を挙げる。森中惠美子(もりなか・えみこ)氏の作品。
うつくしきもののかたちに骨拾う
冬に咲く花びらに似て喪のはがき
折りたたむ傘に似てくる手も足も
前田咲二(まえだ・さくじ)氏の作品。ちなみに前田咲二は私の所属する川柳瓦版の会会長。現在読売新聞の「よみうり時事川柳」欄選者としても夙(つと)に高名。新宮市出身。最近の句から。
無蓋車で還った空は青かった
わたくしを抱いているのは神だろう
神秘だな耳の綺麗な青年
ぼろぼろになって還ってきた矜持
短詩型文芸界は短歌も俳句も更なる高齢化が危惧されている。勿論川柳も例外ではない。滅ぶとも思えないが、後進の育成が大切。川柳はいわゆるサラリーマン川柳が盛ん。サラリーマン川柳が悪いとは思わない。入口がサラリーマン川柳であったとしても、いつかは文芸川柳に目を向けていただきたい。
最後に挙げるのは今年の第11回川柳マガジン文学賞大賞受賞作品。連作で、若々しい句群はこれからの川柳を示唆するものかもしれない。
水になるまで
・・・・・・・・・・・竹内ゆみこ
人間になるのはとても難しい
泣いている「でも」と「もしも」を抱きしめて
さよならが言えるだなんて幸せね
触れないでください情が移るから
やさしさを拭いきれずにいる炎
ジャンケンポン戦うのって好きじゃない
美しい心のままでいることに
等身大フラットもシャープもはずす
境目を消すのに忙しいのです
ああそうかそうかと水になってゆく
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言葉は口を出ただけだったら、一時間もすれば消えてなくなってしまうけれど、文字になった途端、言葉は、永遠の道へと歩きはじめます。このページに載っている美しい短詩たちも、読み返し読み返し読まされてしまいます。「さよならが言えるだなんて幸せね」いい川柳です!!
茶助さま
川柳マガジン文学賞へおにーさまも応募なさいませんか。
考えたら、みんな同じ道にいるんですよね(考えなくても)。
お互いに切磋琢磨、この川柳というフィールドをしっかり耕しましょう。名句は、鑑賞するだけでも人を幸せにしてくれます。