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言霊(ことだま)とは、日本において言葉に宿るとされた霊的な力のこと。
川柳を詠んでいる私たちは、いかにして一句に言霊を込めるかに日々腐心しているといえる。選者のこころに届くのは、句に言霊、「言葉のチカラ」があるからである。
川柳に何を詠むかという問題意識が、常にある。日常茶飯を詠んでいても、こころに届くか否かは、切り口がものを言う。詠んでいる内容によっては、採れない句も多い。
私がもっとも引っ掛かるのは、句の世俗性である。短歌、俳句に続いて川柳に入った所為もあるかもしれない。句会に出てくる句の世俗性には、とうてい受け付けられぬ抵抗感があり、いまに引き摺っている。
番傘系の句会に少しと、あと川柳塔系の句会から出発したので、川柳とはこういうものかと考えながらも、いつも引っ掛かり、思い悩んでいた。違和感を抱きながらも、年間賞を何度か頂き、所属結社の(若手の?)代表として川柳マガジン誌の「ニューウェーヴ」に10句を掲載していただいたりもした。
8年前から大阪京都の句会に出席するようになり、紹介されるまま多くの句会に出かけるうちに、いわゆる文芸(詩性)川柳の方向にこころが決まってきたようである。私の川柳が、思いがけないことに、どの句会でも秀句に採っていただけるという経験は新鮮な驚きだった。
前田咲二会長に瓦版に誘っていただき、奨められて川柳塔系の夜市(よいち)誌上川柳大会にも2年間出句。優勝したことで、川柳塔系の句は心中もうこれでよしとした。夜市誌上川柳大会の選もさせていただいたが、やはり川柳塔系の句の全体的な世俗性についていけないという感を強くした。
所属結社を瓦版のみにしたいま、川柳塔社句会にもおじゃましている。この句会で毎回上位に採っていただくことに、非常に不思議な思いがしている。これからは伝統でも革新でもない、「私だけの川柳」を詠みたいという思いが、各句会に向けての作句へ私を突き動かす。
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【参考:言霊信仰】
言霊信仰においては、声に出した言葉は現実の事象に影響を与えると信じられ、発した言葉の良し悪しによって吉事や凶事が起こるとされた。そのため、神道での祝詞(のりと)の奏上では絶対に誤読がないように注意された。結婚式などでの忌み言葉も言霊信仰に基づく。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国(言霊の幸はふ国)とされた。自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙(ことあ)げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命(ヤマトタケルノミコト)が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想にとどまらず、心の存り様をも示した。(Wikipedia)
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