
わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも(大伴家持)
[口語訳]私の家の、ささやかな竹林を吹く風が竹の葉をそよがせてさやさやと鳴
る、その音のいかにもかすかなこの夕べであるよ。
今年11月にまた富山に出掛ける。今回は晩秋の立山連峰を見るために、2日の氷見大会参加を兼ねて行く。詠みかけている川柳の「立山賦」を完成させるための吟行。今年5月には伏木(ふしき)の万葉歴史館、さらに何かに引き寄せられるように大伴家持を祀る大伴神社まで歩いた。誰もいない気多神社(大伴神社が隣接)の境内は薄暗く、すこし怖いほどの、木立に囲まれた空間だった。私という闖入者を、この地に祀られている神々が驚いて眺めているような気がした。
わざわざ大伴神社まで行った経緯を考えると、不思議な思いがする。
これから完成させようとしている「立山賦」は、そもそもは家持の歌に付けられた題をそのままいただいたもの。家持が国司を務めていた伏木に足を運び、国司館址に佇み、さらに家持に思いを馳せ続けていたことで、霊(?)とチャンネルが繋がった(?)のかもしれない。
二度の高岡市(富山)滞在中、毎日のように図書館で家持関係の書籍を読み耽っていた。家持終焉の地が「多賀城」であることを頭の隅で覚えていた。
たまたま川柳宮城野社の募集していたお題「進む」に新家完司先生のブログを見て応募、入賞したことで、表彰式のある今年9月28日の東北川柳大会に参加を決める。
なんと「多賀城(址)」は大会開催地の近くにあったのである。この地を訪れるようにと家持があの世で仕組み、私を引き寄せているのではないかと思ったわけだ。家持はこの地で最期を遂げている。なんと死後に謀反の疑いを受け遺体は埋葬もされず、(遺骨は?)隠岐の島に流された(?)という。私がもしこの方の霊に呼ばれているのだとしたら、何を手向けて霊を慰めたらよいのだろうか、などとふと考える。
非科学的なことを書いたようだが、科学がすべてというわけでもない。言えることは、幽明境を異にしてはいても、遺された歌を読むことで相通ずるものがある。歌詠み同士はどこかで波長が合うものなのだ。富山に縁ができて、それが家持に繋がった。来月は風に吹かれるままに多賀城址に立とうと考えている。
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