ムムターズ・マハルの墓廟タージ・マハルは息を呑むほどの美しさだった。しかし大気汚染による損傷が問題化しているらしい。たしかにデリーに降り立ってからマスクを外せなかった。タージ・マハルに着いても、やはりマスクを着けたままの観光だった。排ガスによる直接的な汚れの他、酸性雨によって大理石が溶解する現象などが報告されているという。
ヒンドゥー教徒は墓を持たず、遺体は火葬され遺骨や灰は川に流される。霊魂は永遠と考えるイスラーム教徒が持つ墓は簡素なものに過ぎない。ムガル王朝の皇帝は大きな霊廟を備えたが、これは専制君主の権勢を示す目的があった。権力を握っていたわけでもないただの王妃に対し壮大な墓廟が建設された例は、他にはほとんど無いらしい。
タージ・マハル着工の頃、第5代皇帝シャー・ジャハーンはイスラーム教国家建設に取り掛かっていた。その中でタージ・マハルはイスラーム教徒の精神的中心として構想された。聖者信仰はイスラームにもヒンドゥーにも見られ、その墓所は霊力が宿るという考えはムガル王朝期のインドでは強かった。
ムムターズ・マハルを聖者とみなす根底には、イスラーム社会が女性に夫への愛と子を生すことを求め、産褥による死は男性が聖戦で死す事と同義とみなす母性信仰があり、生涯で14人の子を産み36歳で死んだ彼女は殉教した聖者になるに充分だったと言える。
上の写真は、ツアー仲間の女性たちと撮ったもの。この姿でタージ・マハル、さらにムムターズ・マハルの夫のシャー・ジャハーンが息子によって幽閉されたアグラ城内を歩いてきた。シャー・ジャハーンは城内の一角に幽閉され、死ぬまで愛妃の眠る対岸のタージ・マハルを眺めながら過ごしたということである。死後は石棺に納められ、タージ・マハルに愛妃と並んで眠っている。
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