川柳が、一般に詩や短歌や俳句に比肩する文芸とされるには、日常の表層の事象を詠むだけではなく、潜在心理までもふかく凝視するような作句姿勢が必要となる。古川柳の三要素の一つ〈うがち〉は〈穿ち〉で、もともとの意味は穴を開けること。表面からは見えにくい事象、常識的な角度からは見落とされるような事象にまで目を向け、その仮面を剥ぐなど、意地の悪い視線ともいえるが、それが川柳の文芸的特性である風刺や批評性につながっている。ひと言でいうと〈寸鉄〉。短いフレーズで急所をつく、すなわち穿つのが川柳。
〈説明句〉という表現があるが、句の内容が単なる報告に終わっている場合につかわれている。とくに下五に意外性がなく、状況の説明にしかなっていない句がよくある。推敲、さらに没句の検証は修練が要るものなのである。
川柳の三要素と言われるのが〈うがち〉のほかに〈軽み〉〈おかしみ〉だが、もちろん発祥の江戸時代から言われているわけではない。 明治になって阪井久良伎が狂句を否定し、文芸性のある古川柳に定義付けしたもの。多くが匿名の古川柳と現代川柳とでは、〈うがち〉にしても内容が違う。〈軽み〉〈おかしみ〉も然り。詠む対象が人間の複雑な内面にまで広がった現代では、三要素が川柳の金科玉条というわけではない。
わたしの川柳は全体的には現代川柳の中の〈詩性川柳〉というジャンルに分類されるが、〈うがち〉はあっても〈軽み〉〈おかしみ〉はあまりないと評される。川柳の「ほんとうのことを言う」とはもちろんほかの文芸同様単なる事実ということではなく、フィクションに〈にんげんの真実〉が詠み込まれているか否かということが問われる。
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